周五郎は、落下する爆弾の下で軒昂

東京都千代田区九段南2−1−30には、イタリア文化会館があります。

20年ほど前に訪ねた時は、日本家屋でした。

現在は、改築されてモダンなビルになりました。道路側の面が赤色で「近隣景観にそぐわない」と、ちょっとしたニュースになりましたね?

マクドナルドの赤ではなくシックな赤なので、僕はとても好きです。ビル周縁が、緩い階段状のテラスになっているのも、イタリア気質を感じますし。

さて、建て変わってビルになったので、当然フロアーが増えました。最初は業務拡大のスペースだと思っていたのです。違ってたんですねぇ。

上層階は、テナントを入れて賃貸業をやっていたのです。しかも、イタリアとは縁の無い会社もある。

山本周五郎 戦中日記」を発行した(株)角川春樹事務所も、店子でした。奥付を読んでいたら、この住所でちょっと驚く。

しかも、ハルキ文庫として周五郎本を4冊も出している。

「日々平安」「おたふく物語」「かあちゃん」「雨あがる」。いずれも短編アンソロジーです。春樹兄さん、最近何やってるのか? と思っていたら、ちゃんと出版業やってました。

最近、イタリアの作曲家モンテベルディを知りました。

本は、周五郎の昭和16〜20年の日記です。

真珠湾攻撃した16年12月8日、大森「馬込文士村」に住んでいた周五郎38歳。長男10歳、長女8歳、次女6歳。

天気、食べ物、交友録、原稿の進捗状況が主な内容です。

昭和19年、つまり敗戦前年は、7月にサイパン島が陥落し、8月にテニヤン・グアム島も陥落。10月は神風特攻隊が編制され、11月からは諸島から飛んで来るB29の本土爆撃が本格化。

日記も、19年からは戦況報告が増える。

「全員玉砕は我国の美風なり」「静夜なり、敵機よ来れ」と、激しい言葉が続きます。

幼子をかかえ、周五郎は執筆と校正に精を出す。

「玄関に机を出して鉄兜のまま仕事をする」「がんばれ周五郎」と、自分に活を入れる。

直木賞を辞退した対象作「日本婦道記」は、こういう戦時下で書かれていたんですねぇ。

「日本婦道記」シリーズを、僕は読んだのではなく、朗読CDで聴いていました。「忍緒」「不断草」と「墨丸」の3篇。

わけても「墨丸」を初めて聴いた時は、崩れました。

「雨あがる」は、映画にもなったので、ご存知の方も多いでしょう。恬淡とした主人公の生き方、欲のない生き方に、「これは、大人の寓話だ」と感じてました。

「墨丸」も寓話です。好きな男だけれど、自分の出生の秘密が彼に不都合になってはいけないと、身を引く話。

その時の彼女は、まだティーンエイジャー。

朗読は、池田昌子さん。あのオードリー・ヘップバーンの吹き替えの方ですよ。

聴く身になってちょうだい。「ローマの休日」の王女も、たぶんティーンエイジャーで、恋をあきらめる。少女・墨丸もあきらめる。

おじさんは、「なんとかしてあげたい」と叫びたくなるじゃありませんか。

昭和19年12月27日

己が頭上に敵機撃墜を見る、戦う者の至高なり、これを見れば爆死するも悔少し、万歳! 意気昂る。

愛国者・周五郎は、雑炊をすすってメルヘンを著いていたのですね。