半分都会、半分カントリーならでは
世田谷区は、東西に4本の私鉄が走ってます。
北から南に、京王線・小田急線・田園都市線・東横線。二子玉川駅からは、田園都市線と東横線をつなぐ大井町線もあります。
去年までは、南部ばかり歩いてました。
水泳や陶芸や水彩の「部活」を始めたころから、なぜか会場は北部に集中しているので、京王線や小田急線がなじみになりました。
わけても、成城学園・千歳船橋・千歳烏山の駅付近でウロウロすることが多く、だんだん隣の杉並区も身近になる。
遅くても、3時ころに教室は終わる。そのまま帰宅することはなく、散歩していると人生初めての現場に出会うからやめられません。
道路に向かって全面ガラス張りの道場を見た時は、驚きました。
思わず、ドアを開けて「入っていいですか?」。
ブラジリアン柔術。寝技・組技を中心にした格闘技。試合を見たことがある人なら、「あぁ、あれ」ってなもんでしょう。
拙者は、小学生の時に力道山をテレビで見て以来の格闘技ですから、マットの隅で1時間は見てました。
いずれも、体格立派。中には、腕や足にお絵描きしてる猛者もいる。この人、意外に親切丁寧に解説してくれる。教え子に指導する教官の言葉を、さらに砕いて説明する。
もらったチラシを読むと、キックボクシングや、子供向けのレスリング基礎とかスパーリングも教えている。
「霊長類最強女子」で、国民栄誉賞も受賞した吉田女史も、少女の頃から父親の道場で稽古していた。
この「ロータス世田谷」道場のマットに広がる鈍い光が、10年後20年後の世界チャンピオンを育てるかもしれない。
負けるな、子供たち。
と、唇をキリリと結んで歩いていたら、思わず唇が弛緩してだらしなく開く場面遭遇。
「なんでしょうか、このニワトリ群」。
養鶏場じゃありません。一般家庭の庭に、25羽ほどが遊んでいる。ほんとに、ニワトリの保育所があったら、かくやと思える風景。
塀越しに眺めていると、飼い主とおぼしき女性が名前を呼んでる。ということは、ペットのニワトリ?
推理は当たりました。もちろんニワトリですから、玉子を生みます。ですが、食べないでヒヨコになる。母鶏が神経質になるのは、どの種も一緒。
「カラスがヒヨコを狙うんで」。
性格も違うんです、とニワトリを膝に乗せて言う。おもしろいねぇ。考えもしなかったペット。
「この子は、チャボとウコッケイのあいの子なの」。何者かが、夜陰に乗じて庭に置いてかれたニワトリ。その人も、ペットで飼って持て余したのか?
秋の世田谷イベントのポスターも見かける。
10月27・28日は、松陰神社で「幕末維新祭り」。12月15・16日は、ボロ市通りで「ボロ市」。
どちらも、遠方から千客万来の祭り。
1853年ペリー来航から、1868年明治維新までの15年間は、物情騒然の時代。と、いうイメージがあるでしょ?
藩と外国が戦争したり、新撰組が大暴れしたり、安政の大獄があったり、戊辰戦争や上野戦争があったり。
ところが、風刺画から見る15年間は、ちょいと違う。
国際基督教大学ICUのウィリアム・スティール教授の講義を聞きました。
とりわけ、1868年7月17日に江戸は東京になり、9月8日に明治改元になる直前の約半年間の江戸。いうところの「権力の空白状態」があり、鯰絵、麻疹(はしか)絵、あわて絵、頼み絵などと呼ばれた瓦版が大量に出回る。
この、呼び方が笑えるでしょ?
地下出版です。絵師や版元がわかっているものもありますが、不明なものも多い。
誰も、取り締まらず。ますます世情の事件をあてこすった風刺画が出る。無法状態に、江戸っ子は溜飲を下げたり、早く平和になってほしいと願ったり。
ビジュアルが教えてくれる過去は、庶民の心情をリアルに伝えてました。
国際基督教大学って、中央線の三鷹・武蔵境からバスで行きます。今までなら、新宿まで迂回したでしょう。
ところが、世田谷北部になじんできたので、千歳烏山からバスで北上して吉祥寺に出るルートを知る。地元ルートを通ったようで、気分よかった。