私には、どうでもよくないこと
バラを育てるようになって、雨が大切とわかりました。
ですが、
やはり、梅雨はうっとうしいよね。そこで見つけた「さくらんぼマンボ」。そこの、あなた。「うっとうしい! 失せろ!」とゆで卵や鉛筆なんかを投げないように。
こんな季節こそ、ご陽気にマンボでも踊りませう。耐えませう。
上手に踊れなくてもいいんです。我が敬愛する柴田元幸先生も言ってます。
・そもそも、万人にとって天下の一大事であるような問題など何も無い。
あるとすれば、戦争だけか。
・すべてのことは、誰かにとってはどうでもいいことであり、誰かにとってはどうでもよくないことである。
世界各国の文学者が集まった討論会に参加して、元幸兄さんの尊顔を拝しました。
大学で教えてる = 毎日若者と接してる。枯れて体力・気力がなかったら、教育ができない事実に気付きました。しんなりした人だと思ってたのに、発言がエネルギッシュで驚く。
「翻訳教室」新書館刊。
オースター、ミルハウザーなどの翻訳で知られてます。本は、東大文学部で行われた「翻訳演習」で1年間やった授業を文字化したもの。
疑似体験できるのが、ありがたい。
取り上げた10人の作家の中で、なじみがあったのはレイモンド・カーバーとアーネスト・ヘミングウェイとリチャード・ブローティガン。
作家のタッチを読み分けられるほど、英語が達者じゃない身からすると、和訳で作家の本性を表現することがどれほど大変なことかがわかる。
学生の翻訳文は意味をつなげてるだけ。どんな作家を訳しても、同じ調子なんです。ありがちな誤訳もある。
翻訳でメシを食うためには、「自分にとって、どうでもよくないこと」の連続なんだ。
アメリカ人は英語の文脈で考える。日本人は日本語の文脈。文脈のバックグラウンドには、歴史あり、文化あり、生活あり、呼吸あり。だから、補ったり省略したりする。
加えて、時代性もある。新訳の改訂版が出版される意義がわかった。何十年も前に翻訳された日本語は、やっぱり古くさいいよねぇ。