「芝浜」もいいけど「文七元結」も

11月21日に立川談志師匠が亡くなりました。しばらく、ぼぅとしました。

TV「情熱大陸」を見て、さらにYou Tubeで再見しました。

冒頭、入院中の師匠が「助けりゃいいと思ってやがる」と医者に苦言。大勢の人が、これを字句通り捉えるので「毒舌家」ということになる。

死にたくはないけど、生きてりゃいいってもんでもないのが人生でしょ? 生きること死ぬことを、延命する技術を持つ医者に一度、訊いてみたいです。

次いで、「左様さよう、ご尤もごもっとも、なかなか」と、落語に出て来るせりふで、ギャグを飛ばす。と、言えば、世の中はうまく回るのに、自意識が邪魔して言えないのも渡世。

番組の最後は「ぞろぞろ」の後に、師匠オリジナルのメドレー「落語チャンチャカチャン」。

火炎太鼓、大工調べ、らくだ、長屋の花見黄金餅、たがや、三人旅、船徳、夢金、あくび指南、笠碁、お血脈



皆さんは、どのネタをきいたことがありますか? どれも、師匠の名言「落語とは人間の業の肯定」だなぁと、思わず膝を打つ一席です。

落語はすべて「非日常の、フィクションの、幻想の噺」ですが、それは暮らしにあるシーンから借りて作られています。

それを、うなずけるということは、僕達はフィクションを生きているということでもある。

師匠は「落語とはイリュージョン」とも言いました。「業の肯定」論ほど膾炙されませんでしたが、僕は「日常のリアリズムは、フィクションでもある」と解釈しているのです。違いますかね?

生まれて来る時代が遅かった。遅かったために、闘いながら磨かれた、とんでもなく広い領域での丁々発止。今頃、向こうで志ん生師匠と飲んでますかね? 

満願成就、今生の一里塚を超えて、これからは永遠に飲む・打つ・買う、そして落語ができる。にぎやかだねぇ。

僕は、3回半、師匠を見ました。

半は、渋谷の映画館でチケットを買う師匠。3回は、高座。

一番覚えているのは浅草・木馬亭の最前列で聴いた「文七元結」。漫才、講談、浪曲、奇術の名人にまじって、落語からは談志師匠。5つの寄席芸人の「名人会」でした。

佐官職人・長兵衛の噺。腕はいいが、博打に狂い、借りた50両を文七に投げ捨て駈け去る長兵衛。この時のためらい。そして、酷寒の長屋に訪れた春爛漫のフィナーレ。凄さは今でも覚えてます。

終わったあとの一言。「長兵衛が投げた50両。身投げをする文七を助けようとしたんじゃなくて、最後の博打のつもりだったのか」と来て、この解釈に満場がうなりました。




最後は、練馬で聴いた談春との二人会。こちらは最低。

「もう、いい」と悲しくなりました。すでにこの時、「自分の落語に納得できない自分」と葛藤する本人がいたので、無理矢理、高座を勤めるのは無意味と忖度しました。

彼の師匠の柳家小さん大師匠も、末期を聴いて、「芸の命には、限りがある」とわかり、それが再現された思い。

さて、残るのは、弟弟子の柳家小三治師匠だけになりました。

写真は、今年4月、独演会で「宿屋の富」と「小言念仏」をやった時の小三治師匠。

高座で受けたからといって、そのやり方を繰り返すようなことはしない噺家です。声高ではありませんが、わかりやすいマクラと噺をしますが、彼こそ、人間の業が宿痾であるとわからせる人。

ですから、いつまでもお元気でいてほしい。

お元気なら、「お後がよろしいようで」すから。