風邪をひいたので「残りもの名画座」を

アマデウス」は、1984年のアカデミー受賞作。当時、話題になったのは覚えてます。でもその頃は、とっちらかして仕事してましたから、見てませんでした。

ミニシアターでは、監督特集や俳優特集そしてテーマ特集で過去の作品を上映します。今まで、せっせと通ってました。

ところが、図書館はうなるほどDVDを所蔵していることを、数ヶ月前に知る。リストを追うと、1950年代から200タイトルほど見てない。洋画だけで。

それを、前に「残りもの名画座」でちょっと書きました。

第2回「残りもの名画座」は3本だて。いざ。

1本目が「アマデウス」。

皇帝に使えた宮廷音楽家アントニオ・サリエリ、息子くらいの音楽家アマデウスモーツアルトへの愛憎劇。

モーツアルトの謎の死に向かって、映画はサリエリの怨嗟と絶望を描きます。嫉妬と復讐を描きます。

ついには、モーツアルトの死のはなむけにと、本人にレクイエムの作曲を依頼する。もちろん、本意は隠して。

映画では、同時並行で「魔笛」にも取り組んでますが、これは史実なのでしょうか? 2つの大曲も、彼ならできそう。 

どんどんベッドで憔悴するモーツアルト。「それなら、手伝おう」と、スコアを書き取るサリエリ

無尽蔵と思われる才能は、夭折することが多い。凡夫は、長生きします。僕は、悲しく安堵する。

アルレーのミステリー「わらの女」は読みました。「わらの男」って、どんなの? と借りました。

あのイタリア映画の古典「鉄道員」のせつなさ、再び。監督・主演は、もちろんピエトロ・ジェルミ。曲も同じ、カルロ・ルスティケリ。泣きましょう。

1958年製作でした。敗戦を引きずる貧しいアパートの1室。夫婦と子供。工場の同僚たち。

鉄道員」では、困難な生活がテーマ。「わらの男」では、みちならぬ恋がテーマ。日本なら、「俺は河原の枯れススキ」で、どうせ2人はこの世では、花の咲かない枯れススキ。

でも、そこはイタリア、石の国。骨太です。だからよけい悲しい。

3本目は「アフガン零年」、これも見たかった映画。

タリバン政権時代は、映画製作を禁じられていた。崩壊後に完成し、2003年カンヌ特別賞。

主人公の少女を演じるマリナ・ゴルバハーリ。5歳ですでに路上で物乞いをして、演じた時は12歳。埃っぽいアフガンに咲く、いたたまれない美しさ。

ハリウッドは、よくほっときますねぇ。

父と兄を戦争で失い、働き手は少女マリナだけ。でもアフガンでは女は働けない。母親は、娘の頭髪を切って「息子」に変身させ、今は夫の軍隊仲間がやっているミルク屋に雇ってもらうことを思いつく。

ある日、一帯の男の子は、すべて宗教学校に集められる。動員に近い。

とうとう、少女であることが暴露される。

裁判の判決が下る。一命は取り留める。けれども、自分のおじいさんほどの男と結婚する付帯条件があった。

ロバが曳く荷馬車で歌うおじいさん。「今は、固いつぼみ」と。

マリナはつぶやく。「いったい、神はどこにいるのか」。

セディク・パルマク監督は、キアロスタミ監督ほどの赦しも描かない。

<これからショータイム>
・6月30日 かつしかシンフォニーヒルズ 18:30 ¥1500 チャイコフスキー悲愴