たまには、考える人を考えよう

2000年に筑摩書房の「明治の文学」全25巻編集で注目された坪内祐三さん。前後して「慶応三年生まれ 七人の旋毛曲り」も出した。

靖国」も、「古くさいぞ私は」も当時のはず。なぜ、私が古くさいと感じるかは、自身が1958年の生まれだから。当時40歳前後で、すでに新しいことに興味が行かない。

雑誌も「東京人」の編集はしたが、「散歩の達人」には向かない人。

季刊誌「考える人」で、彼が連載した原稿名が「考える人」で、単著のタイトルも「考える人」新潮文庫刊。

小林秀雄中野重治幸田文植草甚一が明治生まれ。福田恆存吉行淳之介田中小実昌が大正生まれ。

このあたりの出生人で、考える人を考える論考。

僕には、考えることを商売にしている人と、それほどでもない人に分けられた。1960年代までは、メインカルチャーしかなかったんだ。シリアスな文芸評論。堅苦しい「先生」の時代。

70年代から市民権を得るサブカルチャー。どうでもいいこと書いてカネになる時代の始まり。先人から見ると、どうしてそれが原稿料に化けるか納得できない。

なまけもの、へそまがり、やせがまん、軽薄、無作法、おもしろ半分。「それで、いいじゃん」。

慶応三年生まれの文豪たちを、旋毛曲りと見立てたほうが、本人に肉薄できるんじゃないかという風潮は今に続く。

でも、バカにはできない。

・三枚の原稿は1時間あれば書ける。その1時間をつかまえるために、24時間かかることがある。何日もつかまらないこともある。

これ、吉行淳之介のエッセイから。考えてなさそで、考える。考えてる風で、考えてない。気まぐれを考える。

SEKAI NO OWARI