国を背負って励んだ師弟

東京では、毎週どこかでやっている古本市。

初めは、書籍を探す。そのうち、「雑誌なんかも売ってるんだ」と気付く。

手の汚れも気にならないほど通うころになると、パンフレット・一枚もの・写真・布見本帳・駄おもちゃ・古時計と、骨董市領域に足を踏み入れることになる。

まとめてドンと、卒業アルバムなんてのもある。

コレクターAから出た品を古本屋が買い取り、業者間で入札し、市に出品されて、再度コレクターBの手に落ちる。

現在、自治医科大学で学長をやっている永井良三さんの講演を聞きながら、古本市の様子を浮かべていた。

彼は、東大医学部の卒業アルバムを渉猟した。

前史は、シーボルトから始まった。ペリー来航・井伊直弼大老に就任。そして安政の大獄1858年に種痘所開設。これが東大医学部の前身。

日本医学は、オランダ→イギリス→アメリカ→ドイツの順に輸入したんだね。

官費での留学は、もっぱら軍医を養成するため。森鴎外は、その1人。

来日した先生にも、軍医がいた。ミュルレル先生は、ドイツの軍医。今も、銅像になって医学部ににらみをきかせる。厳格だった。

新入生は、14歳から19歳までいた。予科3年本科5年の学生のうち、8割りに「能力ナシ」と退学させてしまった。

現在、医大でそんなことやったら、先生がクビになる。

「通覧すれば、卒業アルバムは医学の歴史だけではありません。建築史であり、スポーツ史であり、風俗史でもあるのです」。

クラス全員集合写真のみならず、校舎、研究室、クラブ活動、先生・学生・患者の服装がよみがえるのだった。

そろそろ、卒業写真の頃。