グッズにもなった志道軒
これが明治以前はどんな歴史だったのか、江戸東京博物館でシンポジウムがあった。
推古天皇の時代に、漁師の兄弟が隅田川で観音像をすくい礼拝供養したのが浅草の始り。
中世・近世の浅草、聖と俗が混ざる寺町、芝居小屋の猿若町。
参道の仲見世には寺の縁起を説明する案内板が並ぶ。それの詳しい話だから楽しみだった。
しかれども、クリネックス大量消費の鼻風邪で欠席。どうにかして、当日配布資料を入手したい。
「狂講 深井志道軒」平凡社刊。
深井志道軒(しどうけん)は今から250年前の講釈師。浅草寺境内に葭簀(よしず)を張って席を設け、軍談を得意とした。
講談は過激に脱線するので、狂講といわれるようになる。
どのように脱線したか。
幕政批判とエッチもの。これが大いにうけて、歌舞伎の二代目団十郎と人気を二分した。平賀源内と友だちになり、大田南畝や山東京伝が追っかけた。
やかん頭で、眉毛が垂れ下がり、歯も抜け、腰も曲がって老いさらばえたが、手のつけられない元気者。
武者の振る舞いに、目を怒らせ口を反らす。
そこに突然、房事インサート。
身を潜め、たもとを引き、裾を踏み、ささやく。忍び事のカタチどおりに、あるいは目をふさぎ、伏し、仰ぎ、膝を動かし、両手を差し伸べて耽り楽しみ、夢心地の乱れたる気色をなす。
これに木製のオチンチンを振り回し、釈台を打ち鳴らすのが、お約束。
やかん頭を振り立て、それがいつの間にか声を荒げ、あたりを払う軍談にもどっていく。
無類の人気キャラだったので狂講は本になり、自伝評伝も出版された。志道軒人形まで発売された。
★旅する目玉 池田学さんのペン画
♪旅する鼓膜 Fergie - Fergalicious