あのモーリスは岩本町出身でした
通学前散歩で見つけた「モリダイラ楽器」という看板。イベント学生としては気になってました。エレベータで上がると、目の前に広がるのはギターケースの群れ。僕は楽器ができなので、不安になる。
ラックにはGuitar Player Sound&Recordingなど数々の音楽雑誌。対応してくれたのは粟崎(あわざき)さん。いかにも、バンド経験ありという物腰。ますます、話ができるか不安になる。
「1966年に会社になりました。私は入社して35年になります」
「66年って、どんな年でしたっけ?」
ビートルズが来日して武道館コンサートをやり、マイク真木が「バラが咲いた」をヒットさせた年。エポック・メーキングな年だったんですねぇ。
想像どおり、粟崎さんは学生バンドをやってました。新入社員の初任給が2万円の時代、彼はアルバイトで1回演奏して1人5000円のギャラを稼いでいたらしい。ちょっと、ずるくないですか?
「ベンチャーズ、ハワイアン、ムード歌謡となんでも」やって、それはお客のリクエストに応えているうちにレパートリーが増えたのだそうです。そして、オーディオに夢中になり、このあたりから知識のない僕は「あれはいい、それは良くない」と会話を弾ませることができず、歯ぎしりする。
そして、爆弾発言。「モーリスはメーカーで、モリダイラはその販売会社です」。え、え、え!
楽器に無知でもモーリスというブランドは知ってましたから、それが岩本町にあったとは。ピーク時には15万本を作っていたモーリス・ギター。当然、半数は輸出でした。
「外国人がモリダイラと言いにくいので、モーリスにしたんです」と、こぼれ話。海外での評価が、日本にフィードバックするという好循環で、ラジオの深夜放送で何度名前を聞いたことか。
当時から現在まで、大型音響機器だけでなく楽器も輸入している。
「フェンダーでカントリーを弾くときれいな音がしますし、ドイツのハーモニカは世界一の音色ですし、もちろん周辺機器もいろいろやってます」。
会社主催のイベント・コンテストが多いだけでなく、反対に音楽関連の会社・組織から招待されもするので、休日は「活動日」という粟崎さん。音屋さんに共通のハニカミ具合が、きれいな人でした。
学校ご近所案内、13社目。カメラのレンズもハニカミ、ピントが前に来てました。