新装開店、ディラン賛江
上のタイトルバックを編集するのに、何日かかったことでせう。やっと、実現しました。きっかけは、息子殿に買ってもらった「amebaでブログやろうよ!」という本。
260ページの内、僕がやっていたのは2〜3ページ分だけでしたので、「まずいよなぁ、あと、こんなにいろいろ遊べるのに」とモヤモヤが1ヶ月ほど続いていました。
とはいえ、くだいてくだいて、これ以上説明しようがない本も、僕にはできない。悲しいことに。そこで登場、我がご学友と教官諸氏。や〜〜〜っと、完成。
さて、今回の話題は中国発のちょっとしたニュースから。
あのボブ・ディランが中国公演をして、プロテストソングの「風に吹かれて」を歌わなかった、と話題になりましたね?覚えてます?
当局の検閲を受け入れた、ともっぱらでした。ですが音楽評論家に言わせると、14回の日本公演でも「風に吹かれて」は3回しかやっていない、とのこと。
一つ言えることは、中国もディランも一筋縄ではいかないキャラであることでしょう。
12億の民をマネージメントするには、想像を絶します。一方、1962年にデビューした彼を、当時のままのイメージで2011年まで引っ張るには無理がある。
事実、彼はフォーク → ロック → ゴスペル → ブルース → カントリーと変わっていったからです。
僕はスコセッシ監督のドキュメンタリー映画「ノー・ディレクション・ホーム」を見て、とても複雑な人だと感じました。
ヨーロッパ好きの人は「アメリカ人って、単純だからわかりやすい」って言いますが、そのアメリカ人とは「四捨五入して語れば」マッチョだったり拝金主義のアメリカ人のこと。大部分の国民は、そうなりたくても、なれない。
僕は、ディランの歌を唱和できません。考え込んじゃう。ガチャガチャしているだけ、だけど、どこか複雑系・思想系・哲学系。iPodで何回聴いても、感想は同前回。
彼は、ノーベル文学賞の候補といわれて久しいですね。詩人が受賞したことは、今までにありましたっけね?