当たり前ができない

このブログ、24日で止まったままになってました。やるからには、毎日更新と意気込んでいましたが、なかなかできません。

半年ほど前を思い出しました。とある大学野球部の監督との話。「どんな些細なことでもいい。とにかく、自分で決めたことは毎日やる習慣を選手に植え付けたい」と。聞いていて、穴があったら入りたい心境になりました。僕は、意気込みは、3日すると忘れるので。

ですが、さすがに「まずい」と感じて復帰。

それほど自分にとってプレッシャーに感じたのは、この「ブログを読みました」と感想を伝えてくれる友人達がいて、もちろん、それは督促でなく励ましであるから、なおさら「まずい」と実感する次第。



連絡をくれた友人のなかに、写真家がいます。

先ず感じたのは、毎日アップしている写真を見られてしまったこと。先生に落書きを見られたような心境でした。彼はキャリア40年。

実を言うと、僕は彼の言葉を頼りに撮影しているのです。「マンネリの後に撮影する写真が、ほんとうの自分の写真」。長いことやってないと、つかめない言葉でしょ? 僕は、マンネリ以前ですから、あたるを幸い何でも撮影します。毎日シャッターを押していると、写真の傾向がわかってきます。

すると、この傾向はいいことなのか?改めなくてはいけないことなのか?考え始める。シロウトなりに。

そうやって数年たって、初めてマンネリの入り口に立つことができる。それから「マンネリの後」が来るというのだらか、「ほんとうの自分の写真」は何十年後でしょうか?



野球も写真も、他人が「当たり前」と思っていることは、「当たり前になろう」と毎日稽古しないと到着しなんですよねぇ。性格や素質だけで、なれるものじゃなんだなぁ。