ファンだったんです

たぶん、生涯会えないだろうとあきらめていましたが、機会が巡ってきました。その日は、出掛ける前に家にあるマジックペンを3色選んで準備しました。渋谷駅で途中下車し、紀伊国屋書店で彼女の著書「宿命の越境者 イサム・ノグチ」を上下巻買って、準備万端。いざ、麻布十番国際文化会館へ。

作家のドウス昌代さんの講演があるのです。

僕は、ロビーで彼女が関係者と話しているのが、すぐわかりました。というのも、初期の本「東京ローズ」のカバーには彼女のポートレイトが載っていて、あれから約30年後の現在、容色いささかも衰えず。

いきなり、僕の興奮は全開して、おもわず「ファンなんです」と、彼女にむせぶ。



コホン。え、さて。

イサム・ノグチ大兄は、日本人の父とアメリカ人の母の間に産まれた私生児で、長じて彫刻家になりました。彫刻家と断定するには、いささか抵抗があって、もっと幅広く才能を開花させたアーティストというほうが正しいのですが。

開花させたのは仕事だけではなくて、美人方面でも、大いに魅力を振りまきました。

公私ともに地球規模の活躍ですから、それを跡づけるドウス昌代さんのノンフィクション作業も「チョコチョコ取材して」なんてものではなかったのです。

大宅壮一賞受賞後、彼を書きたいのですが、取材費が問題でした。全額ではありませんが、それを負担してくれたのは、講談社だけでした」。いつ果てるとも想像できないのに、経費を負担するには出版に使命を感じている会社に限られるということでしょうか。

講演は7年間にわたる取材のインサイド・ストーリーでした。あらかじめ決められた講演時間が、あまりにも短い。とはいえ、腰痛の症状がひどくて、これ以上の負担はできないでしょうから、僕も漏らさないように拝聴。

そして、念願のサインをいただく。



会場を出て、気持ちを落ち着けようと会館の図書室に向かう。しばらく背表紙を眺めていたら、写真のNOGUCHIの本を発見しました。「今、あなたのことをドウスさんが話してましたよ」と、つぶやく。

30分は図書室にいたでしょうか。やおら、会館をあとにして、石の門前で「どっちの駅に向かって帰ろうか」迷っていたら、女史と再会。「これから日比谷線に乗って、日比谷駅に向かいます」。傘を持った後ろ姿を、見えなくなるまで見送る。どうか、お元気で。