イサムと旅したドウスさん
5月28日に、ドウス昌代さんが著いた「イサム・ノグチ 宿命の越境者」の話をしました。あれから、少しずつ読み進めて来ました。彼女の講演会に参加し、「7年間を費やして完成させた」と聞いてましたから、あだやおろそかには、読めなかったのです。もちろん、散漫な僕の性格もありますが。
1ページ1ページに、講演で触れたシーンがよみがえり、とてもスムースにはめくれない。そして読み終えて、1週間ほど経過。とても、すぐには書けませんでした。
本は上・下巻あります。
上巻のカバーは、イサム・ノグチの青春の面影。「大学の研究で興福寺の阿修羅像を見ていました。ですから、このポートレートを見た時に、『阿修羅だ』って思いました」。開口一番の、彼女の言葉。
ドウスさんにとっては、これから続く執筆を宿命と感じたでしょうから、うれしかったでしょうね。
日本とアメリカの血を受け継いだ、後の巨匠は、ついに最後まで「宿命の越境者」であり、その原点は、将来が不確定であるがゆえ「阿修羅」顔にならざるを得ない。ドウスさんは、それを愛おしく思い、寄り添いました。
それにしても、目に力が宿り、不退転の決意があるのに、なんて純粋で繊細な顔。弛緩してません。
誰もが、そう感じたのでしょう。彼の人生は、その時その時に、メンターと出会うのです。師であり、支援者であり、協力者であり、賛同者であり、そして恋人も。
僕は本を読む時、覚えが悪いので、気になると付箋をつけます。林立しました。ドウスさんが講演で触れた箇所もさることながら、彼が地球上のどこで何をしたか、押さえておきたかったから。
観光で訪ねた所じゃありませんよ、勉強し、仕事をし、受賞し、恋人と暮らした街区や広場。上巻は1904年11月17日ロサンジェルスで生まれてから日本敗戦まで。下巻は1988年12月30日にニューヨークで死去するまで。
札幌郊外にあるモエレ沼公園は、死後10年目に3分の1が完成。今では、すべてが完成しているのでしょうか? 行かねば。
イサム・ノグチさん、あなたが1972年に招待されたベネチア・ビエンナーレが、今年で第54回目の開催と、今日の新聞に出てましたよ。
★「音だっち」ツネツネは、今日も快調です。情報てんこ盛りです。
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