内蔵助殿、バッハはいかが?

朝刊に「はじめてのバッハ」という記事が出てました。東北の地震以来、バッハが演奏会冒頭やチャリティで、よく演奏されているそうです。

皆さんのバッハ体験は、どんなものなのでしょう? 

僕のバッハ体験は、小学校の音楽教室に額装されて並ぶ作曲家の「左端にいた、古そうな人」。そうです、あのヘアスタイルですからダ・ビンチとか、日本でいえば室町・鎌倉時代のような。

記事を読んだら、まるでズレてました。江戸時代の人。1685〜1750、切りのいい年に生まれ亡くなったんですねぇ。



クラシックを聴きかじって2週間過ぎました。肝心の音はチンプンカンプンなので、「ひっかかり」をさがして、年表遊びに凝ってます。

・彼が生まれた1685年、日本では松尾芭蕉野ざらし紀行」。へぇ、そういう時代なの?

・彼が2歳の1687年、ニュートン万有引力の法則を発見。

・彼18歳の1703年「カプリッチョ」でデビュー。前年、お江戸では赤穂浪士の吉良邸討ち入りで大喝采

・1717年「G線上のアリア」作曲を始めた年は、大岡越前守登場。19年はデフォー「ロビンソン・クルーソー漂流記」。20年は「心中天網島」と。「G線」は23年完成。

・1748年、イタリアでポンペイ遺跡が発掘されました。驚愕のニュースは、ドイツで「フーガの技法」に没頭していた彼に届いたでしょうか?

同年、日の本では「仮名手本忠臣蔵」が江戸三座で競演され、連日押すな押すなの満員御礼。



って、おもしろいなぁ。当時、新聞テレビやメールtwitterがあったならって、想像を刺激されますねぇ。

バッハは「クラシックの父」と、でも、それは後世の人の評価でしょ? それほど、革命的だった。バッハ前の人には「最近の若者は、よう、わからん」サブカルだったのでしょうね。

ところで、フーガ。遁走曲と日本語で訳されました。逃げる? 提示部 → 嬉遊部  → 提示部 → 嬉遊部 という構成だから、と。聴きました。すいません、バッハさん。出直してきます。

それより、僕は口をあけて空を見るのが好きなので、ヨハネ受難曲のほうが好き。



★「音だっち」ツネツネ、久々の登場です。疲れたら大空を見てね。

・本日は、ブログにも登場していた、ホテルカリフォルニアです。
僕も大好きです、この曲。そのカバーをお届け。

http://www.youtube.com/watch?v=V0yxqPmKMzU