たぶん、彼は現場大好き

六本木・東京ミッドタウンの21_21DESIGN SIGHTで開催されていた「倉股史朗とエットレ・ソットサス展」が、7月18日に終了しました。行かれた方も多いでしょう。

シャープな倉股デザインと、ポストモダンのソットサス。2人は交流があったことを初めて知る。

もともとは、2月2日から5月8日まででした。それが7月まで会期延長したくらいですから、好評だったのでしょうね。

行ったのは2月。東京ミッドタウンの中庭ではスケートリンクが特設され、アイスショーをやっていた時期ですから、それから半年あまり。デザイン系の展覧会にしては、異例の長さです。



僕は80年代に、渋谷パルコの隣のビルにクリエイティブ事務所を構えてました。

お昼休みにパルコの前を通ると、とんでもない椅子がおかれていたのです。

三宅一生さんの店舗にディスプレイされていた椅子。後でわかったことですが、それが倉股史朗さんのエキスパンドメタルで作られた「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」と名付けられた椅子。

それから、店舗デザインを見て歩くのが楽しい遊びになりました。今も、商品よりディスプレイが気になる性分。

展覧会場はスペースに限りがあるので、主に什器や家具が展示されていて、いわゆるインテリア全体を再現してはいません。けれども、その匂いは充分「ああ、そうだったよねぇ」と懐かしい。

巡回していくうちに、現在の店舗デザインは倉股さんを未だ超えてないのでは? と思えてくる。

コンピュータが描く直線・曲線、配色、CAD・CAMを、すでに70〜80年代に手作業で実践していたことに、改めて驚く。先駆者。「彼の仕事には一切、口出ししませんでした」と三宅一生さんの述懐。さきがけは、さきがけを知っていた。



図録を読み直して感じたこと。

「なるほどねぇ」が、いっぱい詰まっている。プロダクト・デザインは物理の法則から逃げられません。ああ、それなのに。「どうやって重力を支えるのか? どうやってバランスを維持するのか?」。造形の妙を堪能しました。

材料と職人さんの腕を知悉してないと、できないデザイン。

図録には、彼のキャリアも載ってました。三愛からスタート。そうです、あの銀座4丁目に建つ円筒形のショールームRICOH San-aiに在籍していたのです。

ならば、銀座に行かなくては。撮影は苦労しましたよ。図録を置く場所がない。停車中のクルマの屋根に置いたり、案内板の上に乗せたり。何回、地面に落ちたことか。懲りずに、また載せる。

その時、iPodから流れてきたのはカルメン。いいねぇ、男を狂わす宿命の女。道往く人々は「この男、何やってるの?」という顔をして通り過ぎる。ファム・ファタルに励まされ、めげずに撮影続行。