あの日が来れば思い出す

8月6日は、広島に原爆が落ちた日。何回も広島を訪問してますが、最初は学生時代でした。6日の午前3時頃で、平和公園は真っ暗。「今日の朝、式典が行われるんだなぁ」と、静かに興奮していたのを思い出します。

どうして午前3時だったか? ヒッチハイクで到着したからです。東京から、トラックや乗用車を何台乗り継いだことでしょう。

トラックの運転手専用の食堂や、軽油の給油、海産物の荷物。大阪の釜ヶ崎を経由し、山陽道に入って交通事故も経験しました。クルマごと、田んぼに放り出されたのに、まったく無傷でした。



式典は口実で、会いたい人がいたのです。

1ヶ月前に行った北海道で出会った1歳年下の女の子。名前と、「広島のJTBで働いている」だけを頼りにヒッチハイクを敢行す。

水銀灯だけが光る公園のベンチで座っていると、地元のおじさんが話しかけて来ました。なんとなく、彼にとっても特別な日だったのでしょうね。1時間ほど後、彼の家で仮眠をとるために移動。

起きた時は、すでに式典は終了してました。こういう間抜けぶりは、僕らしい。

彼女に会うために、嫌われたくなくて銭湯をさがす。身だしなみを整えようと、殊勝な気持ちをおこしました。天井は格子に組まれ、一つ一つに花の絵が描かれていたのを覚えてます。

脱衣場で、しばし歓談。山手線の各駅を、順に朗唱するおじさんにつき合いました。



さて、広島市内には、いくつJTBの店があるのだろう? とりあえず、繁華街にある店に入り、彼女の名前を告げる。「お待ちください」と言われて、待つことしばし。

階段から降りて来た彼女の、輝いていたことといったら。満面の驚きと笑み。うれしかったぁ。

それから2週間ほど、彼女の家に世話になりました。2階の自分の部屋を僕に明け渡し、両親と一緒に1階で過ごした彼女。部屋は特有の甘い香りがして、「これが女性の匂いなのか」と。

毎朝、通勤を見送った後は夕方まで、ずっと彼女のお母さんと一緒。聞きました、1945年8月6日の出来事を。気持ちを落ち着かせ整理しないと書けない、風景です。

以来、東京で広島県人に会うと好意的になって、「なんか、僕でもできることはありませんか?」となる。

原爆の日が来るたびに、手も握れなかった再会の日々を思い出す。



★それでは「音だっち」ツネツネ。今日は、彼が待ちに待ったロックフェスの日。満喫してほしい。

・こんにちは。ようやく夏らしい天気です。さて、本日のおすすめ。
MONGOL800
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