往還する暮らしを始めました

カントリー・ライフこと始めの今夏。素地は、イギリス作家のフレデリック・フォーサイスでした。「ジャッカルの日」とか「戦争の犬たち」で親しまれている彼。

軍人・通信社の特派員を経て小説家になり、ベストセラーを連発して後、突然田舎に引退。

東京しか知らない僕は、それがとても不思議でした。「才能がまぶしく開花したのに、なぜ都市で活躍しないのか? 田舎に何のメリットがあるのか?」

でも、何かあるのでは? とも感じていたのでしょうね。僕が経験していない何かが。



以来、ヨーロッパ人の田舎暮らしが気になってました。たぶん、皆さんも思い当たるでしょう?

たとえば、地方のレストランの親爺。裏の畑でとれた野菜で料理を出し、かみさんに言われて家の補修をし、夜は学校の同級生と即席演奏会をやるような・・・・。

どうして、そんな日常をリッチに感じるのか?

都市が便利を楽しむ所なら、田舎は不便を楽しむ所。

都市はニュースが起きる所なら、田舎は何も起きない所。

ですから今回の清里では、不便でも大丈夫、ニュースを聞きたいとも感じませんでした。

どんどん気持ちの年齢は小中学生に退行していって、身の回りのことをやることが、おもしろくなっていきました。
それも、買物を入れた袋を捨てずに、くるっと丸めて保存するようなことに。



そして東京暮らし、昨日から再開。

アメリカ作家のアーウィン・ショーの「夏服を着た女たち」を思い出しました。なんだか、都市を象徴するものも欲しがっている自分。

日曜日、マンハッタンの5番街を、ワシントン・スクエアに向かって歩く若夫婦の物語。

「あなたは、どんな女とすれ違っても、必ず見るわ」と妻。「僕はこの5年間、他の女の手も触れなかった」と夫。

夫は、ピクニックでもしている気分なんです。あれも見たい、これも見たい。わけてもフォトジェニックなのは、女。そういうお年頃の夫。

わかるねぇ。妻しか見ない夫なんて、男として信用できません。

都市の観光資源は、女なんです。

僕もパーク・アベニューの20丁目あたりを年配のニューヨーカーと歩いていた時に、経験があります。

彼は突然Uターンして、女の子を追いかけた。見ていると、信号待ちする彼女に向かって一言。

「あまりに可愛いものだから、これあげる」って、ポケットからキャンディを取り出す。

いやぁ、僕も真似したい。都市の、特別じゃない日の、そぞろ歩き中の、絵になるチョッカイ。

こういう、歩道でちょっとした出来事が起きるのが都市。



銀座にいました、夏服を着た女たち。ほっとします。うれしいです。キャンディの変わりに、写真をパチリ。

iPodから流れていたのは、Diana KrallLittle Girl Blue。まだまだ、カントリーもアーバンも楽しんでいたい年齢なんです。