1mm、アラーキーに近づきたい

なでしこ、疲れているのでしょうか? 北朝鮮戦で終始、押し込まれてました。なでしこの平均年齢約25歳、北朝鮮の平均年齢約20歳。

今回の予選は、中1〜2日なので、やはり若さにはかなわないのでしょうか。それにしても、誰がこんなスケジュールを決めたのでしょう。本番のロンドン五輪も、このペースなのでしょうか。あまりに過酷。

とはいえ、結果よければすべてよし。予選通過おめでとうございます。こうなりゃ最後の中国戦は、控えの選手の腕試し、ならぬ足試しにしても、だれも文句はいわないでしょう。レギュラー選手を、とにかく休ませよう。



反対に、休まないのが写真家の荒木経惟兄さん。勘定をしたことはありませんが、写真集の出版点数で、天才アラーキーを超える写真家はたぶんいないでしょう。いますか?

新書「天才アラーキー 写真の愛・情」を読む、眺める。彼は女性の大股開きで名を上げましたが、僕はむしろ、それ以外の写真に惹かれます。

以下、気になった章をアットランダムに。

第1章 私写真論
彼の写真は、あくまで「私」から離れない。離れたものは私の写真ではないという論。

第2章 陽子、わが愛
死まで、これほど妻に愛情を注げるものでしょうか。カメラがあるから、愛の背中を押したのでしょうか。陽子さんは、エラ・フィッツジェラルドが趣味でした。

第4章 バルコニー
自宅のバルコニーは、彼のスタジオです。太陽の照明という1灯ライティングの技。

第6章 街は気配とバランス
僕がもっとも気に入った章です。よく、カメラにカバーしている人を見かけます。そういうの、大嫌いですから「カメラは裸で」は大賛成。

(ちなみに、本屋さんでカバーを付けてもらい、読んでる男も、大嫌い。なんか、根本的なところでチマチマと右顧左眄する性格なんでしょう)

とっさの反応でフレームインさせて、シャッターを押すには、カバーなんかしている余裕はありません。

そうして求めて行く写真とは、文章の中見出しにあるがごとき。

「関係性が無関係風になるように」

「雑然のバランス」

「無駄を見る眼」

「心眼で気配を撮る」

「消え去るものだから」

アラーキー兄さんほどのキャリアがないと、つかむことができない心情だと、つくづく実感します。

「私の生活こそが、写真だ」。僕も、そうありたい。ですが、見栄や虚栄が邪魔して、なかなか撮れません。彼のように正直になれない。

今回の写真は、「無駄を見る眼」になれたでしょうか? 

外国人が監督した、兄さんのドキュメンタリー映画を見ました。

一度だけ、写真展でお目にかかったこともあります。僕がじっくり見ていると、彼は風のように歩き去りました。

なんて、かっこいい後ろ姿。