公人じゃない、10年の感慨
昨日は9・11でした。マンハッタンのワールド・トレード・センターに突撃した2機と、ビルの崩落。今年の東北震災と同様に、これからも「その時、あなたはどこで何をしていましたか?」と問いかけられ、語り継がれることでしょう。
アメリカ人に「自分達は、これほどの怒りを、なぜ買うのか?」という自省の念も生まれましたが、明らかに膨大な戦費をつぎ込み、戦死と負傷者が出、リーマンショックが追い討ちをかけて、現在もがき苦しむ「失われた10年」と国民は感じていないのでしょうか。
フセイン大統領とビン・ラディンはいなくなりました。だからといって、国民に高揚感はあるのでしょうか? 訊いてみたいです。
ちなみに、I ♥ NYのロゴをデザインした、敬愛するミルトン・グレイザー大々々々々先輩は、「もう終わりにしよう」と、朝日新聞が報じてました。
僕も私人ですから、公人のやることは担えない。でも担わないから、考えないということでもないんです。
皆さんは、ミノル・ヤマサキという人をご存知ですか?
日系の建築家で、ワールド・トレード・センターの設計者。「9.11の標的をつくった男」という本を読んで知りました。
なぜ、読んだか? WTCビルを見たからです。「あのビルが地上から消えた」ので、どんな人が作ったのかという興味。
実際は、それほど好きなビルではありませんでした。
というのも、ニューヨークを訪ねて、人々は何に心を動かすか? 単純に割り切ると、新しさが好きか、古さが好きか。
新しいトレンドのホテルだったり、ファッションだったり、インテリアだったり、デリカテッセンはよく日本で紹介されてます。地元民は、ほとんど知りませんが。
WTCも明らかに、新しさを代表する、活力を代表する、世界のアメリカ化を代表するシンボルで、たぶん圧倒的多数の人々は好きなんでしょうね。シブシブも含めて。
一方、僕がニューヨークを好きなのは、まず、街が古いこと。
次に、世界中から来る、縁もゆかりもない他者とわかりあえない絶望感。人種偏見。異文化交流なんて翻訳語が、色を失う毎日。そして、オレがオレがで人を押しのける。
だからこそ、今の感情を「かけがえのないもの」と感じる身の処しかた。都市で生きる、はかないかもしれない流儀。
孤独という言葉がこの街ほど似合うところはありません。独りぼっち、なんて甘えた語感はありません。
つらいよね。つい僕も甘えたくなって、もっぱら下町のグリニッチビレッジやリトルイタリーやソーホーの景観にひたってました。100年前の残滓。
仕事で付き合ってたクリエイターの仕事場や自宅が多かったのも、理由ですけど。
あるいは、セントラル・パークの東と西。下町とうって変わって高額タウンハウスの街ですが、こちらも、いわゆる高層のコマーシャルビルはありませんでしたから、気に入ってました。
ここまでくりゃ、お気づきですね?
そうです、僕はO・ヘンリー好き。ウッディ・アレン好き。有名ではありませんが、リング・ラードナーやデイモン・ラニアンが好みなんです。
WTCは手に余る。でも、ミノル・ヤマサキは、人種が混在すれど解け合わないサラダ・ボウルの街で、立派なサムライであったことは確かです。