800年前の法然さんの耳
「昨日泣いたカラスが、もう笑った」って、よく言うでしょ? 東京で「この残暑なんとかならないの」と思いながらも、清里に来れば涼しくて、残暑のことをすっかり忘れる。
ことごとく自分に都合良く解釈できるのが、忘却という能力で、僕の場合は、とりわけその能力が優れています。「残暑、どこのこと?」ってね。皆さん、申し訳ないです。
ばかりか、新聞・テレビを読みたい・見たいとならない。すぐ、環境になじむ。では、何をして時間をつぶすか? 何もしないんです。長時間、葉の落ちる樹を眺めて、ぼんやり。
童話「葉っぱのフレディ」を思い出す。命の尽きた葉が、実は循環して再生する物語。本は、お父さんがお坊さんの友達からプレゼントされて読みました。すっかり気に入って、森繁久彌じいちゃんの朗読CDでも聴きました。
有名なお坊さんって、名前だけは日本史で習いましたが、どんな教義で、どのように人々に受け入れられたかまでは知りませんでした。
実際、毎日つかう言葉にも仏教の言葉がたくさんある、とも聞いていましたし。気になっていたんです。
ですから、JR東海の生涯学習財団が「法然 愚者へのまなざし」という講演会をやると知って、早速申し込みました。
一体、どんな人なの?
「いい国(1192年)つくろう鎌倉幕府」と歴史の授業で習いましたね? 法然さんの場合は、「いい耳している法然さん」で、1133年のお生まれです。
と、大正大学で教え、横浜の寺の副住職でもある林田康順さんの講義が始まりました。
平安時代末から年代順に生涯を解説し、1212年に80歳で浄土往生したのだそうです。
ところで、タイトルにある「愚者へのまなざし」は、イヤミじゃありませんか? 「どうせ法然は賢者だから、愚者の一般大衆を啓蒙する」という構図で僕は捉えていたのです。
林田さんの講義を聞いていると、そういう意味ではありませんでした。日本語はむずかしい。
「愚者であることが大切」と、解釈(まなざし)をコペルニクス的に回転させよ、と説いていたのです。
たとえば1198年・66歳の時に著いた「選択(せんちゃく)集」。
困難な行(ぎょう)は、優れた人に用意されている。易しいお念仏は、劣った人に用意されている。と、誰もが思い込んでいる。これは「平行線の教え」。
現代生活に例えれば、仕事で優秀な人を評価し、昇進や給料で報いるのは「平行線」の考え方です。
法然さんが革命的だったのは、「真逆もまた、真なり」と唱えたところ。
いくらその人が優れているからといっても、その力には限界がある。一方、易しいお念仏には阿弥陀仏の力の援護があるから功徳を得られる。これが「たすきがけの教え」。
お念仏を唱えるかどうかは別にして、愚者、敗者、ちゃんとできない人、のっそりした昼あんどんのような人に向けるまなざしも、価値があると気付く「たすきがけ」という視座。
心掛けで、「いい耳」が持てるようになるんですねぇ。
かねがね僕は 「お金や能力がなければ、話にならない。同時に、お金や能力があればいいってもんじゃない」と考えているので、「たすきがけ発想は、我が意を得たり」と得心がいきました。
2人目の講演者は、広島大学で教える比較宗教学者の町田宗鳳さん。
「たぶん法然さんは、あらゆる宗教家の先駆者です」。
毎日の暮らしの左右には、他者への優越感と劣等感の川が流れていて、人はその間を歩いている。すぐ、どちらかの川へ行きたがる、と。おっしゃる通り。
被災した東北の方々はもちろん、普段の自分の痛みや苦しみを、どのように「まなざす」か? 関心のありようはまちまちでしょうが、以下ご参考。
10月25日から、上野の東京国立博物館で「法然と親鸞」展が開催されます。
10月2日からは京都・南座では、坂田藤十郎さんの法然上人没後800年の大遠忌を記念した舞台が幕を開ける。
★それでは、「音だっち」ツネツネから。明日はビューティフルになるといいねぇ。
・本日のおすすめEminem
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