皆さんミックスして歌いましょう


レモンの花の咲く道を

郵便馬車が見える頃。

うれしい便りを乗せて

きみ、ぼく、あなたの胸に

広い牧場のお昼どき。

ほら、ほら、ほら、ほら、やって来る

郵便馬車は夢の馬車。

つい、唄っちゃいました。16日のブログで書いた「あこがれの郵便馬車」。それも1・2・3番、良いとこ取りのミックス・バージョン。

長男坊が、うれしい便りをメールで送ってきました。今まではPCでメールを見ていました。やっと最近、僕は携帯でもメールを見ることができるようになりました。

遅い!

本当はメールでしたが、僕にとっては「郵便馬車」で朗報が来たようなもの。

唄いながら、「レモンの花の咲く道」は、映画「初恋が来た道」に似てるなぁ、と道つながりで、いつもの連想癖。チャン・イー・モー監督の名作。主演のチャン・ツィイー、村娘を好演して好きになりました。いいねぇ。



何を一人で舞い上がってるの? とお嘆きの諸兄・諸姉の皆さん。勘弁してください。誰にも一人で楽しみたいことってあるでしょ?

思わず1・2・3番ミックス・バージョンを唄ったのは、皆様ご存知の旧軽井沢銀座通りでした。

小海線を小諸まで行き、駅で鉄道路線図を眺めていたら、しなの鉄道軽井沢駅まで5つ目と知り、足を伸ばしたのです。今まで数回訪れましたが、いずれも東京からでした。

反対方向から、軽井沢を訪れるのは初めて。

日本を代表するリゾートであるのは、現在も変わりません。しかし、今回は清里で学習してますから、リゾートとか森の意匠というものに、無邪気に感動はしませんでした。

駅舎は、どこにでもあるペデストリアンデッキに改築されてました。軽井沢本通りは、寒い風景でした。「かつても、こんなだった?」と頭をひねりながら歩く。

僕は裏道好きですから、途中から万平ホテルめざして右折。木立に囲まれた別荘群。これぞお金持ちが所有する別荘の名に値するもの。健在でした。

すでに9月半ばですから、主は別荘暮らしを終えています。林の向こうにたたずむ、声が聞こえない堂々の一軒家。



万平ホテル訪問は、30年ぶりくらいでしょうか。

1894年に、それまでの「亀屋」旅館から、軽井沢初の洋風ホテルに改築して開業。19世紀末から20世紀初頭にかけて開業した洋風ホテルは全国にあります。

どこも、僕は訪ねると柱や壁やガラス窓やドアノブを掌で触ります。往時とつながりたい一念を、抑えることができないのです。

廊下で、額装されている図面に見入りました。

1945年8月15日、日本は戦争に負け、米軍が進駐してきました。その年11月1日、米陸軍第8軍が万平ホテルを接収。

その時、彼らはテーブル・椅子・デスク・ドレッサーなどを、それまでのライフ・スタイルに合わせて新たに揃えた。

ホテルには什器備品台帳が保管されていて、ディスプレイが時の長さを無言で語っていました。

どれほどの家具職人が集められたのだろう? 初めて見る設計図面に、とまどったことだろうねぇ。

「日本には、ちゃぶ台なんて、片付けられるテーブルもありますよアメリカの旦那」。

ショーケース、ガーデン、エクステリア、インテリア、テーブルウェアと、とどまることを知らない僕の工作熱継続中につき、とことん凝視しました。

コピー機で複写したいなぁ。断られるだろうなぁ。

PC、蛍光灯、ヘアドライヤーが無い時代の家具作りもやりたくなってきました。

ところで、最初の郵便馬車。前に、広尾でロバの花屋さんを見ました。馬が道具箱を曳く「さすらいの工作人」もやりたいなぁ。