アンフォルメルなガラス調教師

清里には「ピクニックバス」と、なんともメルヘンな定期運行バスがあります。東京と同様、平日と休日でダイヤが違う。けれども、僕は清里に来ると「油断」しまくりですから、平休日を考えに入れて行動してません。

どういうことが起きるか?

バスセンターに電話して「もしもし、○時○分のバスが、まだ来ていないのですが?」と詰問すると、「それは平日ダイヤですね。本日は休日です」(あるいは、その逆)と、たしなめられる。

23日の秋分の日も、また、上記同様のことをしでかしました。「何か、最近やたらに休日が多いなぁ」と、バス停に八つ当たり。

いずれにしてもバスとタクシーを乗り継いで、「竹の造形美術館」を訪問しました。「藤巻晶子ガラス作品展」を見るためです。



八ヶ岳の麓で、ものづくりに励むアーティストたちで「おらんうーたん」というグループがあります。

美術館やギャラリーと、木・漆・陶磁器・金属・ガラス・布・染織・紙・皮・石などの作家たちの集団です。前から興味があって、これから知り合っていこうと楽しみが増えました。

今回訪問したのは、藤巻さんの個展会場。

ひととおり、彼女から技法の説明をしてもらいました。彼女には「これ以上、くだきようがない」説明なのでしょうが、ほとんど理解できてない僕の顔を察知して、一言。

「工房を、お見せしましょう」。

「ガラス工房うず」では、創作活動に加えて、吹きガラスやサンドブラストの製作体験をマン・ツー・マンで教えてもいる藤巻さん。

施設・設備・材料の話の後、いよいよ、実践しながらの解説。シロウトでも理解できるように、ゆっくり作業しているのかもしれません。けれども、僕には流れるような動作が、とても「きれい」に映りました。

溶けたガラスが、分秒とともに凝固していく過程に、彼女の息と、腕と、掌と、変幻する姿勢の美しさ。道具の配置も、手の先にピタッとある。

躊躇がない。

完成形を事前に具象化して取り組まないとできない仕事。20年以上のキャリアで積み上げた、迷いのなさ。

水飴状のガラスが、彼女の腕の延長とも思える道具でだんだん成形されていく。太陽の光を反射してきらめく。ブリリアント。

僕のいつもの連想癖。「」の「櫂のしずく」のよう。「一刻も千金の」光。

「もちろん、職人さんの技術は尊敬しています。掌の精度は、たぶんコンピュータでもかなわないでしょう」。

とはいえ、自分はアーティスト志向と語る彼女。「何を表現するか、なぜ表現するかに興味があるんです」。

美大を卒業し、ガラスメーカーに就職し、工房経験を経て、現在は「八ヶ岳体験工房あすなろ」の一画にある「ガラス工房うず」で花を咲かせています。



1時間ほど実践レクチャーを受け、あらためて「八ヶ岳体験工房あすなろ」の敷地を歩く。

北欧かカナダにありそうな、荒削りな壁板を貼った一軒が目につきました。薪を割っている方と会う。堀田文昭さん。写真家。

ホームページを見ました。時間をかけて、凝視することを大切にしている人だと感じました。

ところで、最初に出てきた個展会場の「竹の造形美術館」は、美大でも教えている竹の造形家・保坂紀夫さんの常設館です。

「竹の造形美術館」に向かう前には、甲斐大泉駅前にある「デザイン工房 昴」も訪ねました。松田広昭さんの工房兼ギャラリーです。

本日、アート三昧4件。もちろん、東京でもジャンルを問わずにいろいろな美術館やギャラリーには顔を出してます。しかし、立地の環境が違うと、見る目も変わるんですねぇ。

最後に藤巻さん、帰りにクルマで送ってくれてありがとう。帰りは10分でした。助かりました。藤巻さんのキャリアに捧げます。「ガラスの動物園」。テネシー・ウィリアムズの戯曲と関係あるのでしょうか?