捨てたはずの都が懐かしい

言えば誰でも知っている、とあるラグジュアリー・ブランドに勤務する友達の店に寄りました。「ビジネスがパッとせず、銀座でも撤退・縮小するブランドが多いですね」と。

価値がわからず、ただ消費のための消費をしてきた日本人。尊敬する写真家・藤原新也さんが唾棄した「消費の家畜」化は、すでに隣の国に移りました。

日本は「消費の家畜」時代を卒業しつつあるのですから、いい方向に向かっているのではないでしょうか? 

銀座に出掛けたのは、清里で履くトレッキング・シューズを買うためです。ところが、100程度の品揃えの内、セール品は10足程度。僕が見たのは集客目的の「おとり広告」でした。

「まだ、こんなことやってるの?」と辟易しました。登山専門でアルピニストの尊敬を集める店だけに、商売の時代センスの無さにがっかり。

12月になって、セールが始まるのを待つとしましょう。



清里は、これから一気に冬に向かいます。今まで履いていた靴はメッシュ素材なので、夏は快適ですが冬はスースーしてつらくなるだろうと。

足下をちゃんとして、何をするのか?

もちろん、トレッキングをやったり、木を伐採したり、いろいろな造作遊びをしたいからです。

皆さんは9月14日のブログを覚えてくれてますか? 野外バレエの舞台小道具で使われた「干し草のかたまり」。本当は、板で作った立方体に干し草を貼っただけ。これを活用するアイデアを考えてました。

白樺を柱に見立て、湾曲した小枝を束ねて「屋根」を架ける。枝振りが平面な木を2〜3枚重ねて「壁」にする。そして、中央に「干し草のかたまり」を置いてベンチ替わり。実際は、土を掘って埋め込んでますから、作業は大変でした。

完成しました、天空の方丈の草庵。う〜ん、気分ですねぇ。

てな遊びを、これからもやっていこうと考えているのです。



ここで、鴨長明さんの「方丈記」に思いは飛びます。

4畳半の住まいを、彼はDo it myselfしたのでしょうか? 僕が作ったのは半畳程度の広さでした。それが4畳半の、それなりの家屋を作ろうとなったら、図面起し・材料調達・道具揃え・施行・設計変更と、それなりの知識と技が必要と類推したからです。

体が弱そうな鴨長明さんに、それができるとは思えないのですが。

「ゆく河の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しく留まりたるためしなし」。ああ、ヨノナカはハカナシと詠む人ですから。

昔も今も、都市生活は疲れる。使命、責任、欲望。他人はわずらわしい。流行に合わせた消費をするのはしんどい。だから、安らかな静けさが欲しい。風雅な時を持てる山間海浜にあこがれる。

鴨長明さんの方丈庵も、都からやって来た人々から「この住まいこそ、うらやましけれ」と言われました。が、一人閑居にあれば、富や地位や名声など、自分を大きく見せるものがある都が恋しかったのです。

ならばですよ、4畳半を都と山里に両方持てばいいのに、僕みたいに。なにごとも、二者択一して「どちらかにすべし」という考え方は、不健康でしょうが!(何を怒っているの?)

僕は、映画の小津安二郎監督を父親のように慕っています。「どうでもいいことは流行に従い、重大なことは道徳に従い、芸術のことは自分に従う」。すると、たとえば仕事という主語は、3つの内どこにあてはめればいいのでしょう?

いずれにして、なかなかその通りにいきませんが、指針ではあります。

★それでは「音だっち」ツネツネから。スマイル大事。

本日のおすすめ。ノルウェーからIda Mariaです。

[http://www.youtube.com/watch?v=naQSB1Ozyds:title=http://www.youtube.com/watch?v=naQSB1Ozyds
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