これでやっと、つながりました

カナダ大使館の裏から赤坂小学校まで散歩しました。僕の好きな裏道シリーズ。とにかく、真っすぐ歩くのが嫌いですから、わざわざ角角を曲がる。

高校時代に、一緒に陸上競技をやった笹井君の家は赤坂にあり、練習が終わってから部員一同で押し掛けた思い出。

表通りからは想像できない錯綜した小径が、今も残ってます。

偶然、松岡正剛事務所を見つけました。「ここにあったのか」と、ちょっとうれしい。

彼の本業は編集者です。文字通り、情報を集めて編むのが仕事です。ところが守備範囲の広さはもちろん、深さで半端な著者より造詣がありますから、彼を信頼しているファンは多い。

東京駅前の丸の内にある丸善書店の一画には、「松丸本舗」とネーミングされた売り場がデビューした時は、雑然とした書架が話題になりました。

本好きが「わかる、わかる」という構成。1冊の本は、読めばたちまち複数の本に導かれる、他の本にリンクされる構造をみごとに表現した書架。

それも、立っている本、横に積まれている本、斜めに傾いている本。「本が住んでいる書架」。



「戦後日本デザイン史」を著いた内田繁さんも、松岡さんと同じ匂いがあります。

本業はインテリアデザイナーですが、グラフィックやプロダクトや建築のデザインと守備範囲が広く、造詣が深い。

松岡さんは文字の人ですが、ビジュアルに強い。反対に、内田さんはビジュアルの人ですが、文字表現に強い。どちらも希有な教養です。

タイトルどおり、1945年から現在までの通史。

16ページから25ページの「進駐軍のデザイン」がおもしろかった。このブログ9月7日号で、軽井沢・万平ホテルに残っている「什器備品台帳」の話をしました。避暑地に残る、接収したアメリカ文化。

椅子とテーブルで生活するアメリカ人に占領され、急遽、占領軍家族の住宅と家具・什器・備品を用意しなければならなかった。

住宅ばかりではありません。

道路、水道、公園などのインフラに加え、学校、病院、礼拝堂、スーパーマーケット、レストラン、劇場など公共施設のアメリカ化。

想像できますか? それまで、基本は坐式生活の日本人。

サイドテーブルとか、マガジンラックとか、ナイトテーブルとか。アイロン台とか、ドレッシングスツールとか、ライティングデスクとか。

初めて聞いた日本人の頭は???だったでしょう。

ところが、それが日本のデザイン界を大いに前進させたと、内田さんは著く。なるほどねぇ。

シチュー鍋しかり、皿洗い機しかり、アイスクリーム用スプーンしかり。卓上食器セットしかり、パン切りナイフしかり、チーズおろししかり。

歴史が生活の道具で語られるリアリティ。



それで思い出したのが、写真のLife。大判写真雑誌のLIFEはご存知ですね? Life誌からタイトル商号を買い取って大成功したLIFE。

Lifeのビジュアルは、基本イラストレーションです。写真製版が困難な1920年代の雑誌。

なんで、こんな話をしているか?

古雑誌好きの僕は、よく買い込んでました。日本で買ったものは、たいがい企業のゴム印が押されてます。建築雑誌は建築会社、電気製品雑誌は電気会社、アパレル雑誌はデパートというふうに。

このLifeも右に同じ。

つまり、戦前から日本は外国の情報を入手し、コピーし、改善し、製造し、販売していたのです。それが、内田さんの説明で戦後につながりました。

ちなみに、この表紙、どこかで見たと思いませんか? そうです、ミュージカル「Crazy for you」のポスター。僕の好きなイラストレーターのジョン・ヘルドJr。ノーマン・ロックウェルほど有名ではありませんけど、空の英雄リンドバーグの時代は売れっ子でした。

まねる → まねぶ → まなぶ。学ぶの語源は、真似るです。