定期運行とひと味違う船旅
ウォーターフロントという言葉がはやったのは、20年ほど前でしたっけ? 東京湾岸にニョキニョキと高層マンションが建ったころ。
僕はYMCAが主催するクルーズに乗りました。
浜離宮から隅田川を上り、両国橋を左折して浅草橋、和泉橋、お茶の水橋、水道橋。そこからまた左折して一橋、神田橋、日本橋。
予定では直進して隅田川に出るはずでしたが、潮位が上がって日本橋をくぐれない。しかたなく、船頭さんは逆コースでもどって、出発点に帰還。
この時、川面から東京を眺めて、地上の高さを認識しました。江戸時代の水運も理解しました。
現在では、生演奏付きクルーズとか、閘門巡りをするクルーズとか川遊びも細分化されてきましたよね。
みんな、心にお湿りを欲しがっているのでしょう。
今回は、箱崎から晴海まで約45分の川遊びをしてきました。
東京湾や隅田川を定期運行している船はあります。けれども、普段は開いていない箱崎防災船着場や朝潮小型船発着所は行ったことがなかったので。
それでは、東京湾に向かって出発。モーターバイクやカヌーを楽しむ人と、手を振ってあいさつ。
「神田川船の会」のメンバーが、乗船の一行を案内しました。
まず、最初にくぐるのが2階建ての隅田川大橋です。
次が、東京大震災後の復興第1号の永代橋。これから下流は、正式には日本橋川となります。
見えてきました、高層マンションのはしりリバーシティマンション。左右に分かれて、右が本流、左は晴海運河。
右手に見える、逆三角錐のパイプ。潮位観測所です。
左手の桜並木を超えると、佃大橋。その向こうはおなじみのもんじゃストリート。
右手をご覧ください。今年100歳の日野原重明先生がいる聖路加病院。(そういえば、VANの石津謙介さんも、「暮しの手帖」の花森安治さんも、生誕100年だったなぁ。ついでに、日本橋も架橋100年)
続いて、黒い屋根が見えてきた。日本料理の「治作」です。もともとは、岩崎弥太郎の別邸でした。
勝鬨橋をくぐります。1940年に完成。(そういえば、小学校の遠足で来たなぁ。残念なことに、橋が跳ね上がるのを見られなかったけど)
築地の魚市場が見えてきました。東京中央卸売り市場。ここから先は、川でなく、東京湾です。
遠くに東京タワーが見えますね。スカイツリーが完成した後も、バックアップタワーとして残ります。
緑の水平線は、浜離宮です。江戸時代は、お浜御殿。
左手をご覧ください。「ホウスイ」と書かれた倉庫が見えますね。一帯は冷凍の倉庫群で、水産品の安定供給のためにある施設です。
右は、日の出埠頭、竹芝埠頭と続きます。これに芝浦埠頭を加えて、これが東京港のはじまり。
正面にみえるのが、レインボーブリッジ。(東京海洋大の船や消防艇が停泊中)
フジテレビの手前にあるのが第3台場。黒船に驚いた江戸幕府の置き土産です。
大きい煙突が見えますね? 中央区と千代田区の可燃ゴミを燃やして発電してます。15000軒分の電力です。
黎明橋手前で停まる。ありがとう。おかげで、これから受け売りができることが増えました。
★それでは、「音だっち」ツネツネから。川の風を受けながら聴きたかった。
・本日のおすすめ。Asaです。
[http://www.youtube.com/watch?v=QCpYw9XzuzU:title=http://www.youtube.com/watch?v=QCpYw9XzuzU
]