東京にもあった、お代官さま屋敷

水泳教室が、2週間ぶりに再開されました。4泳法をマスターすることを目指してます。

クロール、平泳ぎに次いで、ついに背泳に突入。平泳ぎがままならないのに、背泳。「クロールをひっくり返しただけだから、簡単だ」と思っていたら、大違い。

クロールの推進力は腕が基本です。反対に、背泳は足が基本と教わる。脚力ないから、つりそうです。いずれにしても、2週間ぶりで、体の各所が痛い。

「うでぇ〜」と言いながら、バスに乗る。揺れ具合にマッサージされていると「次は、上町です」とアナウンス。

「もしかしたら?」と飛び降りて訊くと、案の定「世田谷ボロ市」の現場でした。「ボロ市通り」を散歩する。市は歳末のTVの定番ですね。

すると、ありましたよ茅葺きの「世田谷代官屋敷」。

百姓をいじめ「お代官様ぁ、そりゃぁあんまりでごぜいますだぁ」の、あの代官。「越後屋ぁ、オヌシも悪よのぉ」の代官は、せりふも定番です。

うれしくて、門をくぐる。



台所の土間。暗くて広い。

パンフレットでは48畳分。57.84坪の半分弱を台所が占める。たぶん、板の間や畳敷きは武士しか上がらないから、ここが「その他大勢」とのやりとりの場ではなかったのか?

庭を臨む外廊下を撮影する。

ガードマンならぬガードおじいちゃんが来て「もう、暗くなるから閉めますよ」と雨戸を引き始める。まだ外は明るい4時ですよ。

来場者は僕だけですから、たぶん、おじいちゃんも孫の世話で帰宅の準備でしょうか。

庭に出て、建物と平面図を見比べる。「切腹の間」って何? 覚悟を上の組織にアピールしたの?

竹囲いに「白洲跡」の看板が立つ。取り調べのお白洲、ますます代官テイスト。いいねぇ。

パンフによれば、代官は結構忙しい。

年貢の収納(税務署)と、治安の取り締まり(交番・留置所・検察庁・消防署)と、物品購入や人足手配(市・区役所の各部署)。

奉行の目を意識しながら、村々の名主年寄を指揮して司法・立法・行政の下働き。泣けます。



敷地には「区立郷土資料館」も建ってました。常設展示は、世田谷の古代から現代までの通史の資料。

一つ「こんなことが」と、大事件がこの代官屋敷にも騒動を巻き起こした資料がありました。

時は江戸時代末期。

安政七年のひな祭りの日。雪が降る天気ながら、うらうらとお祝いをしていたら、正午になって、太子堂村の弁次郎がとんでもないニュースを伝えて来た。

出勤途中の9時、大老井伊直弼桜田門の外で暗殺された。4人即死、4人瀕死、13人負傷。ここは井伊家世田谷領、当主が殺されたとあっては一大事。

「武士の恥辱、こんな失態をしたらお家は断絶か、あぁ」と嘆きはすれど、事情を精査するために代官は野良田・下野毛・小山村の3人の名主と人足を引き連れ、井伊家上屋敷に行く。

しかれども、畳をにらんで「何をどうすれば」とただ呆然とするだけ。

確かに開国派の大老は憎まれてました。反対する人々を処刑して「安政の大獄」と恨まれてました。TPP交渉の野田首相とは反対に、態度を鮮明にし過ぎました。

で、とどのつまり。

井伊家はお家とりつぶしにならず、減封に留まるという顛末。

代官夫人の大場美佐さんの日記が「区立郷土資料館」に展示されてました。安政年間に、名前がヨネとかハツじゃなく、美佐ですよ。

相変わらず、横道の話題で感心してます。

★それでは「音だっち」ツネツネから。代官が名主・年寄りを集めて大評議し、疲れた時に聴いてもらいたい音。

・本日のおすすめ。 Kimonosです。

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