小股が切れ上がった伊達女を見る
立教大学と岩手医科大学がまとめた報告によれば、1987年から2008年の間に、スズメが6割も減っていたらしいです。
ペットショップで売られていないスズメ。道にいても誰からも相手にされないスズメ。
僕は、振り袖が似合いそうなスズメが大好きで、減少の原因は、屋根瓦の下など巣をつくれる住宅がなくなったこと。スズメ社会の少子化を嘆く。
ニワトリ、干し柿、スズメは、晩秋の風景遺産ですから、お金のある方は、せっせと瓦のある家を建ててください。
秋の味覚ギンナンも、落ちていても相手にされませんね。
むしろ、匂いで嫌がられてます。試しに、八百屋で売られているギンナンの値段を見たら、両手の握りこぶし大の量で350円。
上野駅を降りて、文化会館の前を通ったら、落ちてましたよギンナン。
熊手でかき集めている管理のおじさん。
「ここのは、皆さん『つぶが小さい』と言って、だれも持って行きません」ですと。試しに、落ちているギンナンとしばし格闘する。
果肉を剥く。確かに臭い。出てきた種。確かに小さい。でも、5分もやっていれば、匂いは苦にならなくなります。
どんどん剥く。
「どういう状態で枝についているんです?」
すると、おじさんは文化会館の裏手まで案内し、「この木は、これから実が落ちてきます」と1本の銀杏を指す。キンカンみたいですねぇ。
剥いて、小山ができたギンナン。持って帰ろうかなぁ、どうしようかなぁ。匂いで嫌がられるかなぁ。
文化会館と相対して建つ西洋美術館に入るので、困ったなぁ。
見てきましたよ、「ゴヤ展」。「着衣のマハ」。
マハとは、彼女の名前だと思ってました。違うんですね。マドリードの下町にいた伊達女のことを総称して。
ということは、ロートレックが描いていた商売女と、ほぼ変わらないのでは? ゴヤが、一気に身近になりました。30分は見ていたでしょうか?
出口前をUターンして、も一度見たりして。
1800〜07年とあるのは、完成に8年かかったのでしょうか? ということは、何人ものマハをモデルにした、その集大成なのでしょうか? 「裸のマハ」と同時進行で描いていたのでしょうか?
ほぼ、1m×2mのキャンバスの背景には、深紅のベルベットがかかってました。いやでも娼館の内装を喚起しますねぇ。
油彩もありましたが、全体量でいえば単色の鉛筆画と筆画の版画でした。
1746〜1828年のゴヤは、ナポレオンに侵略されたスペインを生きた人。争乱の時代ですから、人間の醜悪さをラジカルに風刺します。敵に対しても、味方に対しても。
ミュージアム・ショップに立ち寄る。
文庫版の堀田善衛「ゴヤ」を手に取る。知りたいよねぇ、彼の生涯。図書館に行った時にさがそう。
もう一つの刺激は、1810年ころの音楽家たちの名鑑。
知らない作曲家がゴロゴロ。ナポレオンの時代は、こういう音が流れていたんですか。中には、「この曲ねぇ」というのもありました。
ラモー、スカルラッティ、ゴセック、ソレル、ボッケリーニ、パガニーニ、ソル。
ギンナンのことはすっかり忘れて帰宅。