初一念、清々しい言葉だなぁ

年の瀬といえば、忠臣蔵でしょう。国立劇場の開場45周年記念公演シリーズ、3回目訪問の12月の歌舞伎は「元禄忠臣蔵」へ。

切腹が出てきますから、気分はバッハの無伴奏チェロ組曲で向かう。

ところで、歌舞伎の忠臣蔵といえば、「仮名手本忠臣蔵」が有名ですね? 赤穂事件があった当時、早速、舞台化されました。

が、何かにつけて、幕府は都合の悪いことは許さない。

切腹申し付ける」裁定をした手前、「騒動の舞台化なんて、とんでもない」と。で、脚本家は時代を変え、配役名を変え、ストーリーも脚色して「仮名手本忠臣蔵」を書いたことは、よく知られています。

ですから、僕は歌舞伎=「仮名手本」と思い込んでいました。ところが、チラシをじっくり見ると、これは「元禄」忠臣蔵

作・真山青果とありましたので、どんな人か彼の評伝「青果劇のこころ」大山功著を読みました。

平将門、桃中軒雲右衛門、乃木将軍、唐人お吉、新門辰五郎鼠小僧次郎吉などをとりあげた、史劇の作家だったんです。

日本のシェークスピアなの?

世相描写、心理描写が巧みで、それを雄渾で荘重なセリフに起した人。つまり、忠臣蔵の歌舞伎といえば「仮名手本」だけではなく、新劇寄りの劇もあるんだ、ということでした。「元禄」は、真山さんが昭和初期に書いた戯曲。

なるほど。

地下鉄・半蔵門駅から劇場までの道、黒地に金糸で幾何模様の入った帯をしたご婦人と会う。粋筋の方でしょうか。

「映りがいいですねぇ。失礼ですが、何か、おやりになってますか?」。

「はい、地唄舞を少々」。



前2回は1階でしたが、今回は3階の2等B席。3階は初めてですが、舞台全体が思いのほか近くてよかった。

江戸城の刃傷」の場は、松の廊下ではなく、事件直後の廊下近くの部屋。幕臣が大騒ぎしている場面から始まりました。

やがて、家臣の悲嘆と苦悩の中、中村梅玉丈の浅野内匠頭、すでに興奮がおさまり、運命を見定めて登場。静かな余韻が広がる田村右京太夫の屋敷。屋敷跡は今、虎ノ門にあります。

次は「御浜御殿綱豊卿」の場。こちらは、現在の浜離宮

綱豊は、後の六代将軍家宣。五代将軍綱吉が下した裁定に、表立って批判できない苦しさを演じる中村吉右衛門丈。

学問の師、新井白石に心情を吐露する、このあたりが、真山史劇の真骨頂なのでしょうか。

「(綱吉は)後悔していることだろう」と、浅野内匠頭にシンパシーを寄せるセリフを綱豊が言う。



そして大詰め「大石最後の一日」の場。

現在の場所は、高輪の泉岳寺近くにあった細川家屋敷。討ち入りを果たし、四十七士は4家に預かりの身となる。内、内蔵助の始め17名が幕府の評定を待っていた細川家。

刃傷から即日切腹となった内匠頭と違い、12月14日討ち入りから、翌年2月4日全員切腹まで滞在していました。

四十七士の一人、磯貝十郎左衛門とフィアンセおみの登場。50日ほどあれば、これも史実なのでしょうか。

ラスト、死装束で花道に立つ中村吉右衛門さん。「これで初一念が届いた。日本晴れ」と言うあたり。そうだよねぇ、初一念、清々しいねぇ、大切だよねぇ。

10月から来年4月まで、記念公演が続き、観劇してきました。

1月公演は「三人吉三巴白波(さんにんきちざ ともえのしらなみ)」。3月が「一谷嫩軍記(いちのたに ふたばぐんき)」で、4月が「絵本合法衢(えほん がっぽうがつじ」。

来年、僕も初一念を貫こう。