光を娯楽化するのが文明なの?

ルカサーを聴きながら、これを見てました。何だかわかります? そうです、ほうずきのランプ。川村忠晴さんの作品展。

技術はさておき、今年は工作に目覚めたので、どんな物なら作りたいか、よく見歩きました。もっとも、川村さんに言わせれば、これは工作ではなくアートだと言いたいでしょうが。

葉っぱの裏から、LEDの豆電球を照らしたもの。きれいです。葉は、虫ピンのような針で支えています。ほうずきのように包む形のものは、ダイレクトにLEDを挿入しています。

形状はわかった。では、どんな葉なら、光が映えるか?

結論。みんな、映える。映える葉を選んだんでしょう。

笹だけは、わかりました。以下、植物の名前すべて不案内。

ナルコユリヤマアジサイコシアブラ、トウカエデ、ヤマボウシ、ウバユリ、フーセンカズラ、ウリカエデ、アズキナシ、アザミ。

駄目なんですよねぇ、蝶でも虫でも花でも子供時代に図鑑を見る習慣がなかったので、まるで無知。アザミは、綿のような花だったんですねぇ。

作品のほとんどは壁掛け式のランプでしたが、ススキを立てたものもありました。これまた、いいです。作りたいです。

番外編で、瓢箪で作ったスピーカーもありました。これも、おもしろいねぇ。作りたいねぇ。

木なら、まかせて。他人から見たら「どうするの、こんなもの」と顰蹙を買う品々が各種そろってます、清里に。

台風で倒れた木、ツタのからまった木、まき用の木、枯れ木。長短太細なんでもござれ。

でも集めるの苦労してました。一輪のネコで運んでましたから。木の重さに耐えかねて、だいたい100mに1回は休んでいたでしょうか。

夜ともなれば、懐中電灯をかざしながらでしたから、このあたり、筆舌に尽くせない悪戦苦闘。夜の暗さは、清里生活をするまで、実感していなかったのです。

クリスマスを迎えイルミネーション輝く東京で、「ヤノマミ」国分拓著を読んでます。

ブラジル北部、ベネズエラとの国境にある先住民ヤノマミ族のドキュメンタリー。文明化されていない人々の暮らし。

僕は、夜の暗さと昼の光を清里で初体験した今年でした。

国分さんは彼らと150日間生活を共にして、「壊れた」のです。どんな闇を体験したのか、これは想像できません。

地球上にある「解決できない」闇。日本の反対側のブラジルにあった、文明と反対側にある原始。畏れを知ると、文明は簡単に壊れるのでしょうか。

本日混乱。