空白も、知るといろいろな色がある

昨日はクリスマスイブ。出掛けましたか? それとも仕事?

僕は、ブルーノート・トーキョーのタブロイド誌をめくって出掛けた気分になってました。フィンランドファイブ・コーナー・クインテッド、50〜60年代ふうジャズで気に入りました。
 
近頃、図書館に返却でテンテコマイなんです。返却期限が近づいているのでね。

何冊も借り、一度に通読できないので少し読み、次に目を通しているうちに忘れる。その繰り返し。

物語論」木村俊介著。インタビュアーという肩書きがおもしろい。意表をつかれたような肩書きです。

彼は、在学中に立花隆さんのゼミで出会った「人間の空白時代」に興味を持ったらしい。

真言宗空海は、18歳でドロップアウトしてから31歳で遣唐使船に乗るまで、どこで、どんな修業をしていたかわからない。つまり「空白時代」。それを聞くのが取材だと。

17人に聞き、僕が「やっぱり」と感じたのは、写真家の杉本博司さん。

3枚組の写真がクリスティーズで2億円で落札されるほど、評価の高い人。でも、そうなるまでは?

MoMAを初め、数々の美術館に買い上げられたのは確かです。でも、オークションは2次・3次のマーケット。初回で2億円の値段がつくわけではありません。

当然、手元不如意。妻が始めた古美術商を手伝って、蚤の市で買い付けをやっていた。いい話ですねぇ。だから、肩書きを、肩書き通りに解釈してはいけません。

だいたい、肩書きだけで生きるのって、窮屈ですし。

これは、柳の枝に停まった鶯をとる男、餌刺し職人。竿で刺してつかまえるのですが、殺すのではなく、貴人に売る。

ところが、この餌刺し、貴人からご褒美をもらった後、行方不明になり、京都の南・伏見で惨殺死体で発見された。身元をあらうと、北の今出川通に住んでいた。あまりにも遠い。

これ、井原西鶴が著いた「本朝桜陰比事」に出て来るミステリー。西鶴は、元禄時代松本清張でした。

ほんとに怖い。妻には空白の時間があったのだ。「江戸時代の事件帳」檜谷昭彦著。

「図鑑少年」大竹昭子著。ちょっと気になるタイトルで、著者を見ると大竹昭子と出ていることがよくありました。
そういう人って、たまにいるでしょ?

ニューヨークだったり、バリ島だったり。書き下ろしだったり、翻訳だったり。人だったり、風景だったり。

これは、都市生活を描いたもの。文体が、とても透明。ガラス細工を見ているようです。あるいは、砕け散ったガラスの破片が、光を受けて鈍く輝いているようです。

今まで、あまり読んだことがない文章を書く人でした。

法然の編集力」松岡正剛著。

今年1年は、法然さんが話題になりました。関連本や展覧会が盛んで。

松岡さんが語る「編集」とは、出版業での編集という意味ではなくて、プロデュースとかコーディネイトという言葉のほうがピッタリすることが、最近になってわかってきました。

世の中が前提にあります。時代相をふまえて準備をし、わかりやすい言葉に置き換え伝える。

「そうそう、前から感じてたのよぉ。やっと、時代が自分に追いついて来た」と思わせる力。

法然さんから現在まで、空白はいろいろな本で満たされる。