2012年も地球上で生きるから

今年は、たくさん写真を撮りました。散歩には、いつもカメラを持って。

「ねぇ、絞り優先のAvじゃなくて、シャッター優先のTvで撮影する時は、どうやるの?」と、永年の友だちカメラマン「カメだっち」に携帯で訊く。

「なんでもいいから、とにかく絞りを全開にして、駄目ならISOを明るくね」と、シロウト向けに最低限を教えてくれる。

僕に細かい数字を教えてもムダと知っているので、とにかくシンプル。でも、鮫島有美子さんが歌う「喜びも悲しみも幾歳月」の灯台のような存在でした。1年間、ありがとう。

「飽きてから、本当の写真が撮れる」が信条の彼。

「まだ、飽きないよ」と言ったら、「飽きるには10年早いな」と言われた。



さて、今年最後の写真展訪問は「私たちが世界の未来にできること」でした。

もう、立ち直るのに苦労する写真群。地球上に住む70億の人々の所行。

貧困が産み出す大地震の混乱。石油の流出。極度の干ばつと気候難民。紛争と医療環境。終わらない弾圧と憎しみ。毒ガスから見捨てられた人々。硫酸に焼かれる女性。

すべて、大手メディアが掲載しない写真。

パネルの写真は、ほんの一部。

モニターでは、フォト・ジャーナリズム月刊誌DAYS JAPANが2005年から審査してきたDAYS国際フォトジャーナリズム大賞を次々に発表してました。

いたたまれないのに、動けません。叫びたいのに、無口になります。写真の力。止まっている映像は、血を逆流させる一方で、尊厳を呼び覚ます。

ベートーベンです。

写真家の中には、銃弾に斃れたり、溺死したり、投獄された人がいるかもしれない。2011年に何人が生存しているのでしょうか? 

僕は、ジェイムス・ナクトウェイさんしか知りませんが、元気でしょうか?

彼らは、炭坑で、工場で、採掘現場で、農園で働く子供たちにもレンズを向けた。まるで、洞察の矢を射るように。

10年ほど前、「子供を喰う世界」という本を読みました。今日もやっている児童労働。装幀に使われた絵が、ゴヤの「我が子を喰らうサトゥルヌス」。

目をむいて喰わずにはいられない宿命と、自らを漆黒の狂気に追い込むかもしれない恐れからくる苦悶。

絶望してもなお、問いかける写真家たち。彼らこそ、勇者。平手打ちをされました。