柔らかな曲線を持った人でした
11日に遠い親戚の方の葬儀に出席して、風邪をひきました。5日ぶりの外出は夕方。寒い。音はボビー・ウーマック。
向かった先は、本郷三丁目。駅で、改札口を出る時、「定期入れにはさんでおいたのか」と、今は昔で懐かしい。
葬儀のための切符は、東京駅から茨城県の川島駅まで買いました。出る時、紛失しあわてる。
「どちらからですか?」「東京です」。
「ないなら、乗車券代を払ってもらうことになりますよ」。
汗かいて、とめどなく探す。でも、ない。とにかく、ない。
「お帰りも、川島駅からですか?」「はい」。
「じゃぁ、それまでに、よく探してください」と、見逃してもらって、無事、葬儀には間に合いました。
今、その切符が、定期入れの中から出てきた。「こんなところにはさんでいたのか」。なんだか、磯野家のナミヘイ父さんみたい。
どうも、旧友に会った気がして、捨てる気になれません。
向かった先は、東大・本郷キャンパス。
文学部・法文2号館の2階にある、文学部1番大教室。安田講堂の斜め前の校舎。前にも来たことがあるので、夜目でも
だいじょうぶ。
定刻5時ギリギリに入室したので、教室はほぼ満員。
本年初講演会は、松浦寿輝教授の大学退官記念講演。タイトルは「波打ち際に生きる 研究と創作のはざまで」。
だからって、浜辺の写真をアップするところが、我ながらイージーですねぇ。
皆さんは、表象文化って聞いたことありますか?
今まで気になった本を手にとり、奥付のプロフィールを読むと、この表象文化の研究者に出会うことが、よくありました。
松浦寿輝さんも、その一人。熱心な読者ではありませんが、「エッフェル塔試論」で覚えていました。
今回、配られたチラシを見て、彼が評論ばかりでなく詩、小説、翻訳、随筆を書き、映画にも詳しいと初めて知りました。
驚いたのは、40冊前後の著作の受賞歴。
高見順賞、吉田秀和賞、渋沢・クローデル賞、三島由紀夫賞、文部大臣賞、読売文学賞、萩原朔太郎賞、そして芥川賞。
いかに、僕の表象文化興味もチャランポランかがわかる。
退官記念講演ですから、今までの研究生活を振り返った、本人にとっては「ごく、くだけた」ものでしょう。
でも、軽くポール・バレリー、ロラン・バルト、ブルトン、フーコーと出てきます。萩原朔太郎、中江兆民と出てきます。
どうします? 全部、名前だけ承知の僕は、やり過ごすしかないじゃありませんか。
そもそも、何が「波打ち際で生きる」なのか?
「子供の頃、内房のホタとかトミウラの海岸で遊びました。その地名の音の響きに、何か、魔術的な記号のようなものを感じていました」。
波打ち際とは?
1 不確定な境界である。
2 陸という後背地(庇護されている)が、海という外界に向かって露出しており、その場では葛藤がある。
3 外界には、予感・恐れ・誘惑・怯えがある。
波が来て引き、足下の砂が崩れる時の「よるべなさ」「心もとなさ」を、いとうしむ。
それが具体的に、映画のスクリーンや、1880年代の前近代と近代、地図へ視点が移る。
堂々とした体躯に似合わず、繊細で華麗な方法を持っている人でした。
また、読みたい本が増えました。