王女でも恋には負ける「アイーダ」
男と女の間には、深くて暗い川がある。「黒の舟歌だなぁ」と、地下鉄で感じてました。
僕の前に座っていた男子高校生。
何を悲しかったのか、嬉しかったのか、忘れたかったのか。突然、ネックウォーマーで顔を覆う。
頭を振ったり、両手を差し入れたりして遊んでいる、まさに青春阿呆鳥。楽しいねぇ。
女子は、絶対こういうことやりません。
石岡瑛子さんは、とりわけ、やりません。21日、日本の宝が亡くなりました。万感の思いで、ご冥福をお祈り申し上げます。
アートディレクターとして腕をふるった、彼女の鮮やかな業績。男女の性差を超えた希有の才能。手の届かない希望の星でした。あなたの宇宙で、もっと遊飛したかった。
こちら、相変わらず阿呆鳥。
地下鉄・副都心線「東新宿駅」で、大江戸線に乗り換えて「若松河田駅」下車。初めての場所です。
すでに6時過ぎで暗い。駅前の地図を見る。
目指すは新宿区の「若松地域センター」ですが、駅の裏側に「小笠原伯爵邸」と名前が表示されていたので、ドキッとしました。
ご存知でしょうか? 1927年に建てられたスペイン風の邸宅。2002年から、レストランになってよみがえった建築。
入り口のロビーで「ここにあったんですかぁ」と、あいさつ。笑顔で迎えてくれる。すでに、お客さんが食事中ですので、遠慮して中には入りませんでした。
日を改めて、館内見学しましょう。
本年初オペラ、の映画。楽しみにしてました。「翔べ、黄金の翼に乗って」を聴けるので。
3m×5mほどのスクリーン。
「エチオピアが、また叛旗を翻したという」台詞で始まるドラマ。
なかなか歌われない。どうしたの?と思っていたら、途中で気付きました。アイーダだったのです、ナブッコと勘違いしてました。またまた阿呆鳥。
1961年10月13日、上野の東京文化会館で公演された舞台のDVD。僕、花の中学2年生。
中学校は上野公園の北にあり、会館は公園の南に作られました。うれしかったねぇ、当時がよみがえって。
日本が、充分貧しかった時代、こんな晴れやかなオペラが、すでに行われていた。当時は、1場が終わるたびに、カーテンコールをやっていたんですねぇ。
初めてのアイーダ。ストーリーだけはわかりました。これからちゃんと文化会館の図書室に通って勉強しようかなぁ。
終わって、トイレでの会話。隣のおじさん。
「61年は、私、大学を卒業して新米サラリーマンになった年です」。彼も、青春をとりもどしたように笑顔で用をたしてました。
アイーダ、最後の台詞を贈ります。「あなたの上に平和がありますように」。