大手をふって、脱線だらけに一直線

始めて、彼の名前を知ったのは30代でした。今和次郎

日本人の名字は大半が2字ですから、「こんわ・じろう」と読んでました。でも、1字の名もあるから「いま・わじろう」と読むのかなぁ、とも。

こういう時って、誰に訊けばいいのでしょう。読めない姓名は、相変わらず多い。

「こん・わじろう」と正しく読めたキッカケは覚えてません。とにかく、彼が「考現学」の名付け親と知った時、にわかに興味がわきました。

考古学に対して考現学

現在を考える・観察することも、「学」になる。「学」の敷居がとても低くなり、カジュアルで、遊びと表裏なんだと思えた瞬間。

1925年・大正14年5月9日。彼は、銀座を歩く人々を観察してメモをとりました。

東側と西側の道路の通行人口、男女割合、洋装・和装の率。このあたりは普通でしょ? 

ところが、目はどんどんディテールに及んで、例えば帽子のてっぺんの状態を4つに分類してデータをとったり、ヒゲを9タイプに分けたり、タバコを持つ指のポーズを見る。スカート丈や化粧の濃淡を見る。

すべて、緩い線の小さなスケッチ付き。

目の付けどころの細かさに、可愛らしさやユーモアを感じ取り、好きになったのです。

役に立たず、壊され、ほったらかしされるものへの愛着。はがれた板なんかに、「おぉ、よしよし」とパチリとやる原因を作った「こん・わじろう」さん。

1月14日から始まっていた「今和次郎 採集講義」展に行ってきました。

現在なら、彼のやっていたことは、マーケティングの調査・分析でしょう。

違うところは、商品開発や販売のためではなくて、人間に向かう興味が濃い文化人類学的な人だろうと。

と思っていたら、みごとにくつがえる。

見るだけでなく、実践していく人でした。誰のための学問か、それは使う人の学問だったのです。

民家・農村の生活調査をし、建築・装飾・工芸の価値を見つけ出し、都市の空間構造・ファッションを考え、家政学・生活改善事業を手掛けた人。

えぇ〜。

いや、彼の視線のテーマが嫌いなのではありません。むしろ好き。

とはいえ、ニコニコして「なんとなく、暢気なおじさん」的イメージにひたりたくて行ったものですからね。油断して行ったのに、背中に竹の定規を入れられて、突然、姿勢を正さなければいけないようなりました。

同時開催していた、セミナーを覗く。青山学院大学の黒石いずみ教授の講演。

15年以上、今和次郎を研究し、展覧会には1年以上の準備期間を要した彼女。

社会学の補助学として、彼は考現学を編み出したのですが、どんどん脱線していくからおもしろい」と、こちらも胸をなでおろす。

そうだそうだ、脱線しないとおもしろくない。

「小さくて、つまらなくて、とるにたらないもの、なにげないものを忠実に見る」ために始めた路傍採集スケッチ。

硬直した絵画の構成論にイギリスのジョン・ラスキンが異議を唱え、ピーター・ラビットを描いたベアトリス・ポッター
が影響を受け、それが、ナショナル・トラスト運動になっていく。

脱線も、壮大です。

「新婚の奥さんへ、ヨーロッパから絵はがきを送ってました。『欧州紳士淑女以外』という本にもなっています」。

脱線も、普段のなにげないくらしの中でやってました。この人らしいと感じたのは「以外」の人をスケッチしたことでした。

ここらで、「音だっち」ツネツネから来た曲で僕も大いに脱線します。

・チャッツトモンチーです。

[http://www.youtube.com/watch?v=CYlHIUBw_xw&feature=related:title=http://www.youtube.com/watch?v=CYlHIUBw_xw&feature=related
]
http://www.youtube.com/watch?v=lGtqG6ZoKKQ