家族という「おかず」がある願い

永田町駅は、歌舞伎で国立劇場に向かったり、落語で国立演芸場に行くための駅で、めったに降りません。

今回は、映画に誘われました。

ちょっと時間があったので、付近を散歩。自民党のビル初めて見ました。駐車スペースは、黒塗りのクルマがずらり並ぶ。しばらく歩くと、左手に民主党のビル。

国会議事堂も一巡り。東側の参議院と、国会図書館の間の道を歩く。右折して正面へ回る。観光客が写真を撮ってました。

ここから、また右折すれば目的地の衆議院だ。携帯が鳴る。

「もしもし、議事堂の衆議院じゃありませんよ。議事堂の裏にある第1議員会館の中にある、衆議院国際会議室です」。

助かった。言われなきゃ、議事堂でマゴマゴするところだった。

試写会に誘ってくれたのは、クリエイティブ仲間の「クリだっち」。ドキュメンタリー映画「立入禁止区域・双葉」が、17日から公開される前に、地元福島県選出議員がこの会場を設定したのです。

東北大震災から1年経ち、被災地と原発事故の映像が続々上映されてますね?

・311      森達也監督他

・傍(かたわら)  伊勢真一監督

・相馬看花     松林要樹監督

・フクシマ2011 稲塚秀孝監督

「立入禁止区域・双葉」を撮った佐藤武光監督は、新聞で「マイケル・ムーア監督を彷彿とさせる」とあったので、期待が高まる。

上映前の監督は、饒舌ではありません。「まず、見てほしい」と。福島第1原子力発電所から3kmの双葉高校出身。

映画は、双葉郡の8つの町村を訪ね、避難した人々の8ヶ月間を追う。

原発から20・30kmに設定された立入禁止区域。そこから、避難した人々はどこへ向かったのか? 

福島市、磐城市、郡山市仮設住宅、そしてリゾートホテルのリステル猪苗代も避難民を受け入れた。

30人ほどの証言。

「海の向こうから津波が押し寄せて来る」情景に立ちすくむ。

「社員数38.000人の東電社員は、誰も来なかった」という絶望。

4月になり、仮設住宅から転校して通う小学生たち。

段ボールのたんすとテーブルで暮らすお母さん。住宅費は無料だが、ガス・電気・水道代は払わなければならない生活。

住宅ばかりでなく、役場も避難する。すると行政機能は失われ、ますます混乱する。

「こういう生活が続くと、働くのがいやになる」と、心が蝕まれる毎日があった。

双葉町自治会長の天野さん。「ムーミン谷のパパの気持ちになってやってますが、とてもとても」。

カメラは、立入禁止区域にも入って行きます。津波が、何を押しつぶしたか。

陸に打ち上げられた船の群れ。農協は、10分の1の値段でしか野菜・果物を買い取らない。飼育されていた牛は、野性化する。犬は、骨折しながら餌をさがす。墓石も流されていた。

原発の作業員は、熱中症にかかっていた」夏は、服を脱がせて団扇であおぐしかなかった夏。

請戸(うけど)漁港で育った、シンガーソングライターの門馬よし彦さんも登場します。

墓地を訪ね、おじいちゃんの遺骨を表土から発見する。血のつながりを実感した瞬間。土を払って、愛しむ。埋め戻し、花を活けて、水をあたえる。

土に沁みる水を見ると、なぜ、水はこんなにも記憶の再生を喚起するのだろうと清々しくなる。

上映後は、4つの町の代表者が国への要望を訴えてました。嘆きの叫び。

何も終っちゃいない。

「ぜひ、仮設住宅に来て見て欲しい」。何も始まっちゃいない。

藤武光監督は今、全国での自主上映を呼び掛けています。同時に、今夏ニューヨークとパリで公開するために字幕作業をいています。

「被災者に先が見えてないものが、僕に見えるはずがない。映画は完成したが、達成感はまるでない」。クランクアップはない、と語る監督。

わからなくてもいい、正視し続ける姿勢だ。と僕は問われる。

帰りがけにもらったCD、映画のエンディング曲「家族というおかずでご飯が食べたい」を聴く。