救いの光になるか試行する麿さん

皆さんは、映画「極道めし」を見ましたか?

僕は見逃しました。でも見たかった、麿赤児(まろ・あかじ)兄さんが出ていたので。容貌魁偉、それはオトナになってからだと思い込んでいましたが、20代から下地があったんですね。

1943年、奈良県三輪山の麓で産まれた。演劇やるには芸名が必要。まず、地元にあった柿本人麿の麿が頭に浮かぶ。

続けて、山部赤人の赤も、中学校時代にインプットされていたから、赤は使いたい。

「劇団のトイレで大便をしていた時、肛門に傷みが走り、痔から連想して、赤児と名付けた」と回想する兄さん。

「快男児 麿赤児がゆく」は、高校を卒業し、早稲田大学を中退した後に、いよいよ20歳になって演劇を始めたあたりから始まります。

それも喧嘩がもとで、淀橋署に収監される場面から。やくざを殴り、そのやくざから「傷害罪」で訴えられる。「やくざにも人権があるから」と警察官の言葉。

檻の中で出会った面々、さぞや「極道めし」を演りながら思い出していただろうと想像し、笑う。

巨体に怖い顔がついているのに、演劇に純粋だからサブタイトルどおり「憂き世 戯れて候ふ」と相成る。

表紙写真は、荒木経惟兄さん。「ダメならダメで違うやり方があるさ」という表情を捉えている。

新しい舞踏を模索していたら、こういう風になった、という姿。

・どこか一本弦の切れたキチガイみたいなもの

・「だだいずむ」と「しゅーるりありずむ」のごちゃ混ぜ

・理論的につじつま合わせの芝居なんかする必要もない

・動物的なカンとハズミに、俺の肉体は素直に素早く反応する

・芝居を虚構世界だとする認識はあっても、現実を虚構世界と捉える能力がいまだ備わっていないことからくる「苦い思い」

現実の虚構性のカラクリを熟知していたなら、もうちょっと豊かで楽しい立ち回りをしたものだろうに、という苦さ。

遊びって、極めようとすると苦しいもんなんだよね。仕事に比べれば、格段に苦しい。目的が数量じゃなし、スケジュールがないから。

土方巽に弟子入りし、唐十郎と出会い、「状況劇場」で大暴れし、退団し、「大駱駝艦」を旗揚げする。その時27歳。



大駱駝艦」設立メンバー、北海道のキャバレーへ金粉ショー出演させるも、現地芸能社から300万円の入金がない。困る零細プロダクション。

マネージャーと2人で、現地に取り立て行脚を敢行。日活無国籍風か、東映任侠路線かで事前の相談をする。

配役。麿兄さんは「会長」。マネージャーは「芸能部門の仕事をまかされている若い衆」。

老舗の乾物卸問屋のような建物のドアには、金文字で「○○芸能社」とあり、ぶっきらぼうに「ごめんよ」と入る。

対応専務「社長は不在で、私が話を聞かせてもらいます」

若い衆「わざわざ東京から話に来たんじゃない。集金に来たんですよ」

隣の会長「・・・・・」

専務、社長の行き先を電話でさぐり、やっと連絡がつく。

若い衆「会長、ホテルでお休みになりますか? 若い者でも呼びましょうか?」

会長「かまわんよ、ワシは」

1時間後、やっともどって来た「○○芸能社」社長。長いやりとがある。

社長「今日のところは20万円でなんとか」

会長、若い衆を一喝する「たかが300万の金で、ワシをこんなところまで連れてきおって。もはや金じゃない。ワシのスジの問題じゃ。ワシは帰る」

会長、社長に向かって凄む「社長さん、この男を1ヶ月ほど置いとくんで、好きなように使ってください」

玄関で土下座する若い衆「会長、申し訳ございません」

怒鳴り散らす会長「ただじゃすまんぞ」

翌日、めでたく回収し、2人で温泉旅行と相成る。

なにはともあれ、金粉舞踏は「大駱駝艦」のメダマとして現在も人気です。