自分世代の曲が入って来なかった師匠

「火曜の夜は、NHK歌謡コンサート」って、見てました? これ、毎週やってるのでしょうか?

司会者の「今夜は、『熱唱 春の夢舞台』です」と爛漫な声に、出演者も絢爛なことといったらない。

番組表をそのまま引き写します。北島三郎細川たかし・杉田次郎・大月・伍代・香西ほか▽時代の歌〜飯田久彦

演歌、民謡、歌謡浪曲が続々登場。歌手の顔を見ていて、「あ、これは写真家のアラーキー兄さんが好きな顔だ」と、ここで気付く。

彼は、嘘いつわりのない日本人の顔に魅せられる。相変わらず写真の被写体が欧米モデル志向なのに、彼は触手が動かない。

細川たかしさんが、三橋美智也さんの弟子だったこと、初めて知る。

飯田久彦さんが、坂本九ちゃんと同級生だったこと、初めて知る。北島三郎御大と同時期デビューだったことも、初めて知る。

上を向いて歩こう」と同時代の曲ルイジアナ・ママ

「ビックリ、ギョウテン、ウチョウテン」にさしかかると、随喜の涙。いいでしょ、こういうの? 和服を着ているアメリカのリズム。

柳亭市馬 懐メロ人生50年」を読んで刺激され、「歌謡コンサート」を堪能しました。

昭和36年、大分県生まれの柳亭市馬師匠。

最初に高座で落語を聞いた時、朗々とした声だなと感心してました。発売されてる落語CDは図書館で借りたのに、最後の一枚「山のあな あな ねぇあなた」だけは、どの館も所蔵していない。

司書は、こういうところがカタイ。

歌のCDです。表題作の他、「会いてえなぁ ふる里に」「元禄名槍譜 俵星玄蕃」おまけで落語「転失気」。

三波春夫さんの歌謡浪曲元禄名槍譜 俵星玄蕃」をカバーしてます。積年の夢が実現しました。

積年も積年、市馬少年は小学校に入る前から、テレビ「思い出のメロディ」「なつかしの歌声」「ビッグショー」に熱中する時代がかった子だったんです。なにしろ、曲の趣味が父親より古い。

始まりは、明治43年生まれの渡辺はま子さん「桑港のチャイナタウン」にトキメク。それからは戦前から昭和30年代のヒット曲を、チラシの裏だろうがカレンダーの裏だろうが、紙を手元において自己流で速記する懐メロ小僧に成長する。

ついに11歳で、赤穂浪士の士道・忠義を謳った名曲「俵星玄蕃」を暗記した。

中学生時代は、山口百恵桜田淳子森昌子ブームが来るも、まったく興味がない。

「こういうところが、あたしならではなんでしょうか」

番組を探し出し、「今日の何時から、始まりますよぉ」と、近所のおじいさん・おばあさんに教えてあげるようになる。すると、喜ばれる。

「あんなに喜ぶなら、歌ってあげればもっと喜ぶんじゃないか」と少年はひらめいた。

自分では覚えて唄っているだけで、面目ないという気持ち。と師匠は書く。

どうしてどうして。「知らない人はなんだと思う、知ってる人はまたかと思う」、そのフレーズが高座で出て来ると、会場が沸きます。

唄わないと「手ぇ抜いてんじゃないかねぇ」と言われるくらい。

三橋美智也 十選  島の船歌 江差恋しや など

・春日八郎 十選   雨降る街角 瓢箪ブギ など

三波春夫 十選   雪の渡り鳥 旅笠道中 など

・村田英夫 十選   無法松の一生 侍ニッポン など

岡晴夫 十選    上海の花売娘 東京の空青い空 など

もう、せいせいした気分の師匠。

「あたし的なヒットパレード」という項目もありました。

・紅組  渡辺はま子 美空ひばり 小唄勝太郎 市丸 赤坂小梅 松山恵子 以下略

・白組  東海林太郎 灰田勝彦 ディック・ミネ 小畑実 田端義男 林伊佐緒 以下略
   
頭の中で曲が流れていたが、落語の中に入れることはためらっていた。ところが、ひとっ節だけやったら、ウケた。ウケると嬉しい。そのうち、ワンコーラスだけ全部。

評判が評判を呼び、「最近はまぁ、恥ずかしげもなく、一年中ね」。

高座だけじゃなく、ホテルで、古賀政男音楽博物館で、五反田ゆうぽうとで、カメリアホールで、とお座敷がかかることかかること。

それでは最後に「市馬的、あたしの人生歌尽くし」の内、

・風呂で唄いたくなる歌は「野崎小唄東海林太郎