関ヶ原の戦いから、アヘン戦争まで

4月9日に、文京区の「東洋文庫」の話をしました。

2階にある「モリソン書庫」に圧倒されました。これは常設展示で、企画展は「東インド会社とアジアの海賊」でした。

海賊ですよ、皆さん。音は坂田明さん。

ドクロのマークをつけたツバ広の帽子、ひげ、アイパッチ、鉤手、木の義足と、歴戦でかたわになる。現代日本では言葉狩りされて「○○が不自由な人」と言われてます。

それでも、本人は万事「かまうこっちゃねぇ」と、望遠鏡片手に、強奪にあけくれる荒くれ者。ペットは、肩に乗せたオウム。場合により、デッキでブランデーなんぞ飲んでいる。

好きです。

雨の中、出かけましたよ。企画展を記念して恵比寿の日仏会館で開催されたシンポジウム。朝10時から、夜5時までスケジュールがびっしり。

海賊研究者8人が、30分刻みで入れ替わり立ち替わり海賊愛を講演する。

冒頭挨拶・質疑応答・休憩・講評・討論と盛りだくさん。おおむね、午前は年配研究者で午後は若手登壇。

話は脇にそれますが、今、将棋の名人戦をやってますね? 将棋の対局って、ご覧になったことありますか?

時間制限があるんです。棋士が長考していると「じゅぅびぃゃぅ」と、ねっとりした声がかかる。納豆にとろろを乗せたくらいに。

「(残り)10秒、9、8、7」とカウントダウンが始まる。

今回の講演は盛りだくさんですから、持ち時間を厳守しなければなりません。あと5分なら、ベル1回。タイムアップなら、ベル2回。

にもかかわらず、年配はあきらめが悪いですから、どんどんオーバーする。毎度変わらず。

講演内容とまるで関係ないことを密かに楽しみながら、ついでに、お約束の海賊アイテムを誰も語ってくれないのかなぁと、不満でした。

午後の部、若手が登壇して、不満解消。やっと京都大学・豊岡康史兄さんになって、アイパッチ、鉤手、木の義足の話が出る。

「でも、それは西洋の海賊。東洋は『パイレーツ・オブ・カリビアン』で登場するサオフェンと、ミストレス・チン
が典型です」。

映画、見てません。

欧米で、19世紀の初めに登場する中国海賊の源流をさがして、調査の成果を発表する豊岡康史兄さん。

彼も「東洋文庫」に通って、文献と画像資料を研究していたのでした。

写真は、1807年にロンドンで出版された「J・ターナー誘拐の記録」。

イギリス東インド会社の一等航海士ジョン・ターナーが海賊の拉致され、身代金6000ドルが要求される事件発生。帰国後に、話を元に海賊集団内部での処刑シーンを想像して再現された絵。

これは、1792年「マカートニーを謁見する乾隆帝」ギルレイ画。

英国全権大使マカートニーは、貿易交渉のため清国に派遣された。しかし、朝貢使節なら「三跪九叩頭(さんき きゅうこうとう)」せよと要求されて困ってる場面。

皇帝の前で、3回膝まずき9回頭を床にすりつけろ、は屈辱だからできない。英国流に片膝をついて国書を献上したが、結局、貿易交渉は不調に終わった。

どちらの絵も、文明・西洋ミーツ野蛮・東洋ですね。

長々、シンポジウムに参加して一つ賢くなったのがこれ。誰が海賊なのか? ということ。

結論。異文化を持つ者が海賊だということ。西洋と東洋ほど長距離なのはもちろん、西洋同士は覇権の争いがあり、現地東洋でも近隣地域で争う。

すべからく「他者は海賊」なのだ。

それは、どの研究者も必ず触れていました。

も一つ賢くなったことがありました。

東インド会社とからめて海賊を語っているので、時代は1600年から1850年くらいまでに限定されます。

日本は、ちょうど戦国末期から江戸時代。九州・平戸の商館や長崎の出島など例外がありますが、鎖国中ですから、海賊と縁がない。ところが、アジアは「グローバル化」していたんですね。

1600年、英国東インド会社設立。インドを拠点にマレー、中国に進出。1602年、オランダ東インド会社設立。バタビアジャカルタ)を拠点に中国、日本に進出。

両社とも、本国と貿易をするよりも、アジア内での交流で利益を上げようとする。

21世紀に、シーレーンと海賊出没で話題になるペルシャ湾のホルムズ海峡には、カワーシム海賊。マレー半島スマトラ島にはさまれたマラッカ海峡には、イラヌン海賊。

でも、海賊に言わせれば、東インド会社こそ海賊なんだね。

だんだん疲れて来た。

世界史の勉強が終わったので、体育の時間。そうです、プールに行って、水泳4泳法自主トレじゃ。