ちょっとだけ「青菜」遊びをする

熊本県天草市から、宅急便が届く。品名欄「晩柑」。

箱を開けてみたら、夏みかんとグレープフルーツのあいのこのような柑橘類でした。お礼の電話をする。

「知り合いの農家から、穫れたてなの。食べる前に、よく冷やしてから食べてね」。

「はい。ところで、あれは何と読むんですか?」。

「ばんかん」。

ヒートテック下着が、いる日といらない日が交互にある今日このごろ、皆様いかがお過ごしでしょうか?

ヒートテック必着の3月11日のブログで書いた、熊本から上京したおじいちゃん・おばあちゃんと久しぶりに電話で話す。

御年50になる息子が、東京で行方不明になり、飛行機で駆けつけた2人。一緒にさがし、無事見つかって一件落着したお礼に晩柑が届く。

とはいえ、段ボール箱ですからゆうに30個以上ある。食べきれない。

早速、3軒となりの高橋さんにお裾分けする。

高橋さんとは、最近知り合いました。玄関の看板には「造園業」とあり、前々から気になっていることがありました。

植木屋と造園業は、どこが違うのか? 

でも、その話をキッカケに落語を現実で遊びたい、というのが本音。

落語「青菜」。夏の炎天下に、庭の手入れをしている植木屋が一服中。

あの石灯籠を、こっちに持ってこようか。この枝ぶりを落としておいたほうがいいだろう・・・などと、今後の手入れを思案中。

「植木屋さん、ご精が出ますな」とお屋敷の旦那が、縁側から声をかける。

冷や酒の柳陰(やなぎかげ)、ぶっかき氷に乗った鯉の洗い、菜のおひたし。盛夏を口にする。

もてなしに、いたく感激した植木屋。自宅の長屋にもどって、かみさんと再現を試みるのが、爆笑に続く爆笑。

「植木を売るのが、植木屋。植木を手入れするのが、庭師・造園業でしょうが、あいまいですね」と高橋さん。

もう40年間、この道一筋のベテラン。父親も造園業。

「近所で、造園業の看板をよく見かけるのですが?」。

「昔っから、田園調布・成城学園・深沢とお屋敷町に近いからです」。

雨天以外は、365日フル稼働。顧客開発しなくても、出入り先はなじみの所ばかり。

「今やっている所も長いつきあいです」。

聞いて、翌日出掛けました。用賀駅近くの真福寺

本堂前に植わった10mの松。このサイズだと、枝の手入れに10日はかかるのだった。

静かな境内に、時折、パチッ・パチッと鋏の音が響く。落ちた小枝が、地面のブルーシートにあたってカサッとする。それだけが、音のすべて。

沈黙の風景を見やる。境内を歩く。

玉川八十八カ所霊場・第三十九番 真福寺と札にある。

四国以外にも八十八カ所があったんですねぇ。

芭蕉」と読み取れる石碑がありました。

みちの辺の 木槿(むくげ)は馬に 喰われけり 

芭蕉は、ここを散歩していたのでしょうか? 句人は、スナップを撮るように作句をするんですね。でも、写真より知識が必要。木槿って、どんな植物なんでしょう? 

ひときは大きな墓あり。

故 陸軍歩兵一等卒 勲八等 山口雅吉之墓

とある。裏に回って熟読する。

留蔵さんの次男坊で、明治16年7月5日誕生。37年に近衛歩兵第一連隊で日露戦争に従軍。38年3月3日に清国の盛京省で戦傷。13日に没す。白色桐葉章を賜る。

明治40年に兄の武助さんが、弟を偲んで墓を建てる。

日露戦争の大局観より、僕には、まだ21歳だった雅吉君の人生のほうがリアリティがあります。

どんどん墓地を進む。

椿が落花してました。

赤と白とピンクの椿は、それぞれよく見かけます。紅白入り交じった椿を見るのは初めて。おもしろいねぇ、こういう品種もあるの?

と、ピーンが始まる。何かに似てませんか?

そうです、キツネの顔。たくさん並べて「キツネの嫁入り」遊び。これ、季節は夏の話?

真夏の夜の夢。結婚行進曲が間奏で入るメンデルスゾーン作曲。この部分は、原作のシェークピアが著いた妖精の出て来る場面でしょうか?

「1年中仕事はありますが、造園業は夏が一番の苦労」と高橋さん。炎天下でも、長袖でやらなければいけないから。

1日の仕事片付いたら、冷や酒の柳陰(やなぎかげ)、ぶっかき氷に乗った鯉の洗い、菜のおひたしをやってください。