楽しみにしていることが一つあります

江戸川区の住宅街で、椿の花を食べるハクビシンが目撃されました。

警察官5人がネットを持って駆けつけるも、屋根に飛び移って逃走する。

ハクビシン。主に中国南部とアジアに生息。漢字で書くと白鼻芯。額から鼻にかけて白い筋がある。住民が撮影した写真では、ネコとタヌキの親戚のような顔。

去年の夏、「ハクビシンが夜陰にまぎれて作物を食べちゃう」と聞いて、あいまいにうなずいてましたが、これが正体かと。いかにも、すばしっこい目つき。

こいつが、山梨県清里の農家を悩ます。

すると翌日、これまた「昭和史再訪 アンノン族の登場」という記事で、清里が出てきました。

時は1970年。「アンアン」創刊されるや、たちまち女の子に熱狂的に支持されて、翌年「ノンノ」も創刊される。

雑誌を持って、ファッションと旅を楽しむ「アンノン族」が異常発生し、行き先の一つが八ヶ岳高原の麓の清里。シラカバと牧場がありますから、「なりきる」にはモッテコイの舞台。

「70・80年代は客の8割は女の子でした」と、小須田牧場の主・小須田兄弟が述懐する。

え、小須田牧場? ネグラの近くだね。そうだったのかぁ。

同時代、赤毛のアンアルプスの少女ハイジになりきって、ウキウキとアイスクリームをなめていたのね。なにかといえば「カワイイ!」、ここに始まる。

ということは、90年代からは落ち着いたのでしょうか。

振り返れば、その時期は「失われた10年」の始り。清里ばかりでなく、ウキウキ・ハッピーの夢見ごこちは消えて、「そんな気分になれない」時代の到来。

でも、後からネーミングされた時代を表す言葉ほど、あてにならないものは無い。仕事であれ、私生活であれ、「楽しい〜」を探すのでなく、「〜を楽しく」する姿勢が大事。

だよねぇ。

「表参道のヤッコさん」高橋靖子著を読んでいると、気分がいい。

1960年代半ば、渋谷税務署に「スタイリスト」と職業欄に記入して納税した高橋靖子さん。

「日本であなたが初めてです」と税務署員に言われる。無い仕事を創るのは、男の専売特許じゃありません。

広告代理店でコピーライターを始めるも、その内、クリエーターの要望をかなえてあげようと走り回っているうちに、現在の仕事を確立する。

当然、「スタイリスト」なんていう仕事は存在してなかった。おもしろいねぇ。

仕事の名前に参加するのではなく、行動や気配りを延長していって生まれた新しい職種・業種。

彼女の仕事で「アンアン」のグラビアを飾ったのが、T・レックス

70年代は脇目も振らずに働いてましたから、耳に入ってきませんでした。

この絵のタッチ、いいでしょう? 自由で。

図書館からは数々、廃棄処分される「リサイクル資料」をもらってます。

「パリからの手紙」堀内誠一著も、その一冊です。10年ほど前に入手。

彼は、「アンアン」創刊時から3年間、アート・ディレクターをやり、高橋靖子さんとも仕事をしてました。

74年、家族でパリに移り住み、日本へ絵手紙を送り続ける。

宛先は、谷川俊太郎 渋沢龍彦 出口裕弘 長新太 石井桃子 早川良雄など各氏。

本所向島生まれですから、根っからの都会っ子。街っ子が街を描きますから、画風がしつこくありません。あっけらかん。

見て、気に入って、描いて、さっさと画材をしまって、スタスタと我が家に帰る。

74年から79年までの、私生活を描写した本。

抽選でもれたら実現しませんが、5月から絵の学校に通います。堀内誠一さんの絵も先生です。