断崖の奥深くにあった、至宝を見る

連日、スカイツリーの話題が出ない日がないので、東武鉄道の社員はうれしいでしょうね。

その東武を初め、富国生命帝国石油日清製粉など200社以上を創設したのが根津嘉一郎。「甲州財閥」の最終ランナーで、じゃあ、トップランナーは誰かというと雨宮敬次郎。

「天下の雨敬 明治を拓く」江宮隆之著を読んで知りました。根津嘉一郎ほど有名ではありません。

86kg・182cmの体躯で、度胸一代の鉄道王。江戸時代・弘化三年(1846年)、甲州の名主の次男坊に生まれる。

伊藤博文山県有朋大隈重信松方正義と付き合った人。

明治22年、新宿〜立川間に甲武鉄道が開通する。後、飯田橋・八王子まで伸延。彼が念願とした甲府まで伸びたのが明治36年。

同時進行でやっていたのが、小田原・熱海間の鉄道。悪路に加えて資金不足、その時敬次郎、何を考えたか?

箱車に少人数乗せて、人が押せばいい。作った会社名が「豆相人車鉄道」。唖然とするアイデアを平然とやる事業家だから、賞賛と揶揄で付いたあだ名が「天下の雨敬」。

たぶん、芥川龍之介の「トロッコ」は、ここが舞台じゃないかな?

「天下の雨敬」には、絵画コレクションの趣味は無かった。むしろ、珍しい部類かもしれません。

根津嘉一郎は「根津美術館」、松方正義は「松方コレクション」。三菱の岩崎家も残しました。

土佐の下級武士だった岩崎彌次郎。その子供たちが築いた三菱商会。

初代 彌太郎(岩崎彌次郎長男) 
2代 彌之助(岩崎彌次郎次男)
3代 久彌 (彌太郎の子)
4代 小彌太(彌之助の子)

彌太郎の本邸は、旧岩崎邸庭園として上野・池之端にあります。ジョサイア・コンドル設計の立派な邸宅。別邸が、文京区にある六義園

4月9日に書いた「東洋文庫」は、久彌がコレクションした貴重文献の宝庫です。

これが、長男系。

そして、次男系の彌之助・小彌太の書画骨董コレクションは、世田谷にある静嘉堂文庫に納められています。

クラッチタイルの郊外風建築の静嘉堂文庫。

銘版によると、設計者はイギリスで建築を学んだ桜井小太郎。小彌太はケンブリッジに留学していたので英国風の建物を作りたかったのでしょう。

ここは、研究者以外に一般開放はしていません。かわりに併設されている美術館で、逐次、所蔵品を公開しています。

4月30日は、静嘉堂文庫美術館に行きました。建ってる敷地がすごいんだわさ。

静嘉堂緑地。かつて、岩崎家が所有していた庭園。

246号線と環8が交わる瀬田交差点から徒歩圏内に、こんな山深く、せせらぎが流れる所があろうとは。

谷戸川と丸子川にはさまれた高台。小径を上ります。うっそうとした木立の中に建つ文庫と美術館。

裏手に回ると、庭園。平坦でなく、丸子川に向かって下る苔一面の庭。

段をおりてみると、倒れた古木にも苔が乗る。もう、苔好きにはたまりません。隣地は、岡本公園民家園。

地形解説を読む。マーラー、いかがでしょう。

立川・国立・国分寺から、世田谷・等々力までを国分寺崖線の段丘がとおる。高低差10〜20m。

いわゆる、武蔵野の自然。クスノキケヤキ、シイが茂り、林床にはシダ。湧き水もあるので、動植物にはもってこいの環境。

崖線にはキンラン、ニリンソウイカリソウなど珍しい植物が見られるが、段丘の南縁にある静嘉堂緑地は暗いので生えない。

歩いていると、こんなもの見つけました。

石碑を読むと「男爵岩崎君墓碑」。裏に回って読む。

明治四十四年十月

正二位大勲位 侯爵松方正義 選弁書 及 篆額

連名で、伯爵大隈重信、伯爵田中高顕、以下男爵の名が続く。

つまり、彌之助・小彌太ら次男系の納骨堂だったのです。設計は岩崎家なじみのコンドル。ここまで名士・お金持ち。

青銅でできたペルシャ風の狛犬は、口がちゃんと阿形と吽形になってました。

ところで、美術館の話は?

はい、静嘉堂文庫美術館「東洋絵画の精華」展で、辻惟雄さんの講演を聴いてました。

伊藤若冲とか曾我蕭白とか岩佐又兵衛とか、10年ほど前からメキメキ若者に人気の日本画家を、1970年代から研究していた人。「奇想の系譜」の著者。

バナナ叩き売りのおじさんと同じ、だみ声が教授らしくなくていい。

コレクションの絵巻、仏画水墨画、江戸絵画は、確かに素晴らしい。けれども、「正統の系譜」の絵なので、教授的には苦しいレクチャーでした。