堅物の一人息子、一夜明けてみると

端午の節句。今日を限りにまた1年、鯉のぼりが見られなくなる。淋しい。

ビル・フリゼールの曲でなごりを惜しむ。

赤坂図書館から、新しい本が届いたと連絡があったので、出かける。今日は1日晴れで、鯉のぼりも元気に泳ぐ。昨日は、夕方から雨が降りましたね。 

皆さんは、ウィンドブレーカー持ってますか? あれは雨かっぱと兼用にはなりませんね。昨日知る。

カメラを常時持ち歩くようになったので、ウィンドブレーカーも常時デイパックに入れてあります。いざという時は、覆って雨を避けるために。

ところが、けっこう激しい雨だったので、内部にしみてくる。今日は、雨かっぱ携帯で出発。

本を受け取り、2時から始まる映画会まで時間がありました。どうやって時間をつぶそうか?

そうだ、あそこがあった。

246号線を渡り、東宮御所を過ぎて、明治記念館にいたる。

高校時代、生涯初めての結婚式に列席した式場。長姉の式でした。三三九度の盃、上目遣いで見てました。「これが例の」と、厳かになる。

披露宴で、初めて口にした茶碗蒸し。どうやって食べるのか、わからなかった。世の中には、こんなにおいしいものがあったんだね。

宴会場の雰囲気といい、お庭といい、下町小僧には別世界の典雅な場でした。

以来、春の宴会・夏のビアガーデンと何回か訪ねてます。

今日も、何組かの挙式があったのでしょう。芝のお庭は、おめでとう撮影会で華やぐ。椅子に座って、彼らを眺める。

目の前に水平に伸びる瓦屋根は、陽光を照り返してまぶしい。

明治時代、帝国憲法が審議された館。明治天皇憲法発布をした錦絵も、ここが舞台ではなかったか? 前は憲法記念館という名前です。
 
お庭には、さざれ石がありました。

さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで、のさざれ石。

学名・石灰質角礫岩(かくれきがん)。石灰石が雨水に溶解され、粘着力の強い乳状液が大小の石を凝結させ、やがて1つの巨石にまとまる。

地中にあるが、河川の浸食などで偶然地表に露出する。

見ると、石がゴツゴツと張り付いているので、全体の姿としてはきれいなものではない。

とはいえ、めったに発見されなかったからでしょうか、縁起のいい貴重な石とされ、君が代に歌われた。

確か、千鳥ケ淵戦没者墓苑でもさざれ石を見た記憶があります。

それにしても、今日はほんとにいい天気。

図書館にもどって見たのがDVD「三遊亭楽太郎十八番」の中から、「明烏」と「芝浜」。

かつての、楽太郎。現在は、襲名して円楽師匠となった、TV「笑点」のレギュラー。

笑点」というだけで、下に見るでしょ? ところが、あれは営業用で、高座ではまったく違ってくる。実際の高座を聞いたのでなくCDで聞いた時、見直しました。

ドスのある声で、話芸になっている。

先代の円楽師匠は、気取りがハナについて、どうしても好きになれなかった。噺もうまくないし。

今回の「明烏(あけがらす)」、好きなネタ。

二十歳の堅物息子、今日も読書をし、頭が痛くなったので、近所へ散歩に出かける。

日本橋で商売をしている親父「堅いのはいいが、ああ堅すぎると将来が不安」と心配している。人付き合いを知らないでは、ゆくゆく「商人(あきんど)として、さしさわりがある」と。

柔らかくても困るが、堅くても心配するのが父親。ころあい・ほどが、むずかしい。

イデアが浮かぶ。

町内の遊び人2人に、機会があれば吉原に連れてってくれと頼み込む。

ところが堅物の息子に、最初から吉原なぞと言えば拒否するので、「お稲荷さんにお籠りへ」と誘う。

服装(なり)を整え、お賽銭もたっぷり持って、3人連れ立って、浅草観音様の裏手にある霊験あらたかな「お稲荷さんにお籠りへ」。

夜中過ぎ、吉原の中でも売れっ子をあてがわれた息子の悲鳴が響き、朝方近くに「お母さ〜ん」のか弱い声。みごと落城して、すっかり骨抜きになる。とろとろになる。

鯉のぼりを眺めていると、男の行く末が揺らいでいるようで楽しいねぇ。