下山も楽し「森の遊歩隊」パート2

昨日の「里山探偵団・森の遊歩隊」扇山行きを反芻してます。

それほど、よかった。

めでたく山頂まで登って案内板を見る。ここは、山梨県大月市でした。

扇山は、市の「秀麗富嶽十二景」の内の一つ。つまり富士山を望む12座の1つなんです。600〜1990m峰まであり、扇山は1137m。

隊長の益田さんの説明。「標高差550m登り、帰りは四方津(しおつ)駅まで降りれば650m下ることになります」。

山の人は、基準が違うんです。水平に何キロ歩いたか、ではなく、どれくらい上下したか。

お昼ご飯を食べる。いつの間にか、昼寝してました。

「そろそろ、出発しますよぉ」と、起きる。これからは、下りだと思うと気分が楽。

上りと同様、「だれも知らない秘密の小道」にそれる。正確には小道ではありません。道がないの。枝と落葉の柔らかい山肌を歩く。

たぶん、山頂を目指すアルピニストは、こういう寄り道はしないでしょう。「森の遊歩隊」は、コンセプトが違うんです。

すると、どういうシーンに出会うか?

「これは、シカが遊んでいた場所です」に着く。いいよねぇ。家族同士か、友だち同士か、とにかくシカが団らんしていた跡地。

静か。

どんな様子だったのか、想像がふくらむ。木の実、葉っぱ、木肌と食べ物が豊富。見晴らしもいい斜面。

プーランク、どうでしょう? シカが遊んでいるみたいな曲でしょ?

前回同様、今回も益田さんから地図がメンバーに配布されてました。

下山の休憩は、「膝休め休憩」と言います。いい名前だねぇ。文字どおり。

そのたびに、今、どこにいるかを地図で説明される。すると、目で確認できるので、歩いて来た感がある。

地図は、彼のお手製です。

市販の2500分の1に、磁北線が数本引いてある。磁北線ってのも、マニアックな名でいい。磁石で北を指す線。ただ、北というよりありがたみが違う。

「4cm間隔で引いてありますから、間は1kmです」。そうなんだ。

地図の読み方を教わる。1回じゃ、覚えられない。

「霧が出て来て、道なき道を歩く時に」って、ベテランは山の作法に忠実です。先月も高齢者登山の事故があったでしょ?

ちょっとずつだけど、覚えなきゃ。

熱心なのは、メンバーも同じ。丹沢の稜線を図解したものを持参してました。

写真にある、みはるかす3層の山並みがおわかりでしょうか?

一番奥の薄いブルーが丹沢。

右手、台地状の山が大室山。その左にあるのが、檜洞丸(ひのぼらまる)。写真にはありませんが、丹沢最高峰の蛭ケ岳(ひるがだけ)が、その左隣に続きます。

「森の遊歩隊」初級コースとはいえ、なんだか、たいした場所に来ているんじゃないの?

「一番手前と真ん中の山並みの間に、リニア新幹線の実験線があるのよ」。どうして、そんなことまで知っているの?

参加者が各自、得意を持っているからおもしろい。

当初は、出発と同じ鳥沢駅のもどってくる計画でした。しかし、なりゆきでどんどん変更するのが「森の遊歩隊」。

「これから、『犬目の宿』に向かいます」と、益田さん。

ん? 匂うね。

甲州街道の宿場だったんです。

甲州八十八ヶ所霊場とか、番所跡とか、一里塚とか、砦跡とか、芭蕉の句碑もありました。葛飾北斎は「犬目峠の富士」を描いてました。

畑が広がり火の見櫓のある、絵に描いたような里山風景。芭蕉北斎を真似て、漂白したいよねぇ。

義民「犬目の兵助」の生家もある。

天保七年の大飢饉に、米屋の小川奥右衛門に押し入った「甲州一揆」の頭目。時に兵助40歳。妻子ある身でクーデターを敢行。

妻への「離縁状」、巡礼姿になって長野・新潟・広島・山口から四国に渡る「逃亡日誌」。晩年になって犬目村に帰り、役人の目を逃れて隠れ住む。

思わぬ「時の遊歩」をして、高尾駅では「豚つけうどん」も食べ、帰宅後、倒れ込むように寝床に入る。なにしろ、午前3時半からサッカー見てたので。

めいっぱいの日曜だった。

あッ、忘れてました。参加するなら、益田さんに連絡してください。携帯090−3090−9825です。