父子相伝になるほうが珍しい?
ディスコの女王、ドナ・サマーが亡くなりました。
レディ・ガガばかりなく、ビヨンセとかマドンナとか、ホットでセクシーで、挑発的に「だから?」と体でリズムをとる娘たちの「母」。
1970年代後半〜80年代前半。日本がどんどんお金を稼いで有頂天だった時に、彼女の声を聴かない日はありませんでした。
僕も仕事場で聴いてました。
も一つのニュースは、浅草の三社祭。
去年は、震災で自粛していたので、2年振りに復活。
大阪の橋下市長は「入れ墨をしている職員は、昇進させない」とお触れを出しました。
男たちの入れ墨とケツっぺた野外フェス。自分はやらなくても、荒ぶる無法者は見たいご要望に応える。
法律の外、勝手気ままな場所、ボヘミアンのサンクチュアリ、流浪波止場。
観音様とホームレスが同居する場は、神聖とあやしさが同居する場所でもある。
こういう場所を、アジールと呼ぶらしい。「父系図(おとこけいず)」坪内祐三著で知りました。
タイトルからして、泉鏡花「婦系図(おんなけいず)」のアナグラム。古くさいです。承知でやってます。「古くさいぞ私は」という本を出すくらいですから。
祐三兄さんの父親は、経済団体の日経連の幹部。経済本で有名なダイヤモンド社の社長でもあった人。
親父の期待は、将来ビジネスエリートになってほしかったのかもしれません。ところが、息子は古くさいことに夢中になる。
「近代日本の異色の父子像」とサブタイトルあるように、江戸から明治にかけての親子を追ってます。
祐三兄さんは「シブい本」という本も出してるくらいですから、人選がしぶい。
彼の一番のお気に入りは、淡島椿岳(ちんがく)と寒月(かんげつ)父子。趣味人で知られてます。
江戸時代も平成時代も、身すぎ世すぎにゃお金がすべて。ですから、「昔はのんびりした生き方が許された」のではありません。今にいたる道楽者の「父」。それも親子2代だから「父たち」。
椿岳は豪農の息子に生まれ、日本橋の商家に婿入りする。明治維新は40代半ばで迎えた。商家は人に譲り、一人浅草に引っ越しする。
当時の浅草は江戸時代の雰囲気がまだ残っていて、あたりは「奥山」と呼ばれていた。
奇人の独居老人、風流な伝法院住職と意気投合し、数寄の遊びをともにする。
今年3月下旬、浅草で遊んで「奥山風景」と書かれた旗を見た時に意味がわかりませんでした。これでやっと、つながった。
見世物小屋がならび、曲芸もある。
「奥山見世物の開山は椿岳で、明治四・五年頃に特殊眼鏡で、普仏戦争の五十枚続きの画を覗かせた」。
画は、椿岳自身が描いた。新しもの好きの彼は、水彩画だけでなく油絵も学び、イギリス人画家のワーグマンとも交わる。
泥絵もやる。泥絵?
絵馬や人形を彩色するための絵。手製の絵の具で、レンガの粉とか青ガラスの粉。筆は、昨夜食べたソバの箸を噛み砕いたようなもの。
もう風流の極み。
その椿岳、息を引き取る寸前に呵々大笑して口ずさんだ。「死んでみるのは、これが初めて」。
そして、息子の寒月。
父親が浅草に引っ越した時、彼は横浜に住む兄に身を寄せた。維新後の横浜は、西洋崇拝一辺倒。
「西洋に行ってみたい」。だが待てよ。自分は日本を知らなすぎる。そこで帝国図書館に毎日出かけ、古書をひもとく。
その他、禅学・古美術・社会主義・埴輪・泥人形・エジプト趣味・西洋玩具・能・謡曲と多方面に広がり、本人は「三分間趣味」と自嘲する。
いいねぇ、この軽さ。
絵も描いたが、父親同様に職業とはしなかった。
「父系図」に出てくる親子は、基本、父親がいわゆる社会的名士で、息子は文芸・絵画・音楽・哲学・俳句・ジャーナリズムをやった人々。つまり、著者の境遇と似てます。
淡島椿岳と寒月父子のようなケースは、むしろ珍しいのかもしれません。