電柱は双六の「一回休み」のようなもの
金曜日になって気分が開放されたのか、「音だっち」ツネツネから曲が来ました。
・本日のおすすめ。GARBAGE
ガーベイジ、ゴミねぇ。
歩けばせっせとゴミ拾いやってますから、帰りのバッグはパンパンになることがよくあります。
最近の収穫は、チリから来たグレープフルーツの木箱。がさばること、おびただしい。どんどん布団を敷くスペースがなくなるので、その度に積み上げる。
いつか、崩れるよなぁ。
ゴミ拾いのルーツは、電線でした。小学校時代、金属はすべて貴重で、中でも銅はレアメタル。電線工事があると、切れ端しが落ちて来て、それを下で待ち受ける。
くず屋に売ったお金で、あんず飴やくずもちを駄菓子屋で買う。
山口晃兄さんは、1969年の生まれですから僕とは時代が違います。もう日本が充分豊かで、そんな遊びはしてないでしょう。
ところが、彼の絵には電信柱がよく出てきて、画集を見るたびに「やってる、やってる」と、心の友にエールを送ってました。
5月13日まで銀座のエルメスでやっていた個展「望郷」は、電信柱愛があってフロアーでニヤニヤしてました。
会場は、ビル最上階。ガラスブロックの壁に囲まれてましたから、外光が注ぐ。下の階では、100万円のバッグが罪のないかおで並んでいるのに、ここは昭和枯れススキ。
電柱アート。「エレクトリック・ポールズ」。邦題が「忘れじの電柱」。
電柱に模した黒いポールと、付随するトランスや碍子や電線を「らしく」据え付けたもの。晃兄さん本人のあいさつ文にいわく、
・「男子メカごころ」とでも云うような心持ちで制作いたしました。
・機能はまるで無く、既存の柱に取りつけられて澄ましているあたり、頼りなくも不逞不逞しい限りです。
・実際の電柱の仕様よりも通信線や低圧線を間引いてすっきりさせておりますので、造化に依る活け花と云った趣もあります。
電柱が好きだから、ほぼ原寸大で電柱を工作してしまった。「しょうもないことやって、すいません」というつぶやきが聞こえて来るようじゃありませんか。
電線の本数は実際より少ない。現物を見ればわかりますが、電信柱は思いのほか働き者で、とんでもない数の電線をかかえているのです。
僕もウォッチャーだから、事情はよくわかる。
電線の数を省略したかわり、「伝言板」を打ち付けたのが彼のトンチ。
時刻欄は、11:05
伝言欄は、男が指でつっついているポーズに「なしくずす」といる落書き。
「伝言板」の他に、棚も取り付けました。近所のおばさんが、ありあわせの瓶にさした花の風情。足元には、ビール瓶。
トウフ屋のラッパが流れているようです。
次なる作品は「Tokio山水」。
東京の俯瞰図。江戸や明治から現代や将来までミックスした、お得意の絵。襖絵ふうの仕立てに、原宿から浅草くらいまでを墨絵で描く。
・年代が違う6種類の地図とグーグルマップ、個人的な記憶や思い込みに依って描かれています。
・描くうちに墨がきれて薄くかすれてきて、しまいにはソフトフォーカスになります。
・また、筆先が擦れてチビてきますので、だんだん描線が太くなってきて線描を諦めなくてはならない所もでてきます。
彼の絵は、もっと近寄って見て、という絵ですから説明されるとグングン近づく。
・一方の墨は、水分が蒸発してどんどん濃くなるので、かすれた線の後で墨を足した一筆目は、いつも違和感とやりにくさで始まります。そんなことの繰り返しです。
こういう制作裏話を読むと、大画面に注いだ膨大なエネルギーを想像せざるを得ません。
なにしろ、精緻ですから。
精緻なのだから、おとなしく、うまさを見せればいいのに、やはり照れちゃってギャフンな箇所を描く。その箇所を探す楽しみ。
「すずしろ日記」羽鳥書店刊を読む。
コマ割り漫画に文章を満載した画文集。
日常のどうでもいいことを描こうとすると、本当にどうでもよい。
次回からは、ちょっと考え直して、警句・ウィット・新しい視点をいれようとする。が、そのテはうんざりしているから、描けない。
そして、「ではまた次回」の最後のコマ。
これの繰り返しで1冊の本にまとめた。
・鼻持ちならない贅沢な絵描きの生活と、それを受けてのオチを日記風に描いたもの。
・大根という野暮ったい響きを、すずしろと美しげに言いかえる様に、味気ない日常を賑やかしく妄想する侘しさを題に託したのだ。
託されて、充分楽しんじゃったもんね。