ご隠居たちと寺社を散歩するの巻

三軒茶屋駅の改札口に集合」のお達し。

30分前にバスで着いて、時間があるので三軒茶屋の成り立ちを説明した案内板を読む。

・江戸時代中頃、大山街道は本道(現世田谷通り)と、近道(現玉川通り・国道246号)があった。分岐点付近に、田中屋・信楽・角屋という3軒の茶屋があった。回りには髪結床や煙草屋もありました。

茶屋娘が立ち働きしたり、馬子が「乗ってくれ」と誘ったりしていたんでしょうね。

・明治以降は、シャボン屋・立ち飲み酒屋・駄菓子屋・魚屋も増え、明治40年には玉川電車も開通しました。

大山詣でや多摩川行楽の中継点。そのまんま、落語の世界。落語は、ラジオで聴いてましたので、おじいさん好きは、ここに始まる。

後期高齢者が半分、残りを「超」後期と「前」後期でかためた団体が、三軒茶屋駅の地下改札口でうねっている。

総勢70名。

これから世田谷をうねり歩く。「世田谷区誌研究会」の旗を先頭に3班に分かれ、いざ出発。

うれし恥ずかし「午後の史跡散歩」初参加。

音は、古澤巌さん。

「国道246号が、大山街道の近道といわれてますが、本当は、一本東側の小道が正しい」と、早速知り合ったおじいさんのウンチクが始まる。

こたえられませんよ、この細かさ。腰を折って、尊重します。

まずは、伊勢丸稲荷神社に寄る。箱庭のような神社ですから、あたりまのように道路に年寄りがあふれる。説明する声がスピーカーから流れる。

通る人が不審顔。

一行が立ち去った後に、境内にちょっと入る。古今亭志ん生師匠に似た銅像が一体ある。

「石川右三郎さん。40年ちかく三軒茶屋の町内会長をやってた人。明治生まれで、弁護士やってました」。

説明がありがたい。生前に自費で銅像を建立したあたりが、他をたのまない性格の翁であった。

国道246号から、三宿通りまでの蛇崩川緑道を歩く。

蛇が崩れる川ですから、最初に知った時は「他に名前の付けようがなかったのか?」と驚く。

もらった資料に説明あり。

蛇崩川は旧弦巻村から、旧下馬引沢村を通って、旧上目黒村で目黒川にそそぐ。

なんでも、川の流れが赤土を崩したように蛇行していたから蛇崩川。でも、そこは「世田谷区誌研究会」。

「最初は、砂利の『じゃ』の字が、いつの間にか、ヘビの『蛇』になった」と、異論を唱えるおじいさんあり。

そうこなくちゃいけません。

夢は緑道マイスターになること。でも、計画は立てませんから、今回の、ゆきあたりばったり緑道散歩はウレシイ。

「タヌキがいる!」と、後ろで叫ぶ。

戻ると、石像のタヌキ。日頃、おじいさんは注目を集めることが少ないので、皆が集まってご満悦。

西澄寺前に到着。

「全部、頭に入ってます」と、スピーカーを担いで、張り切って縁起を説明する。「あんまり張り切り過ぎないで!」と一行から声がかかる。

集団を離れて、立派な山門を見学。

大正末、港区芝にあった徳島藩・蜂須賀家の中屋敷門を移築した、とある。寺が、武家屋敷の門を据えることがあるんだね。格を上げるためでしょうか?

構造は、「両番所付き(ここまではわかる)石垣出屋根庇造り」。建築を勉強しないと、名称の意味がわからないよ。

集団にもどると、まだ説明している。「弘法大師がここに来て、蚊を封じて次の旅に立った」。どうして、そんな言い伝えが残っているのか? 蚊ってところが、なごむ。

「言ったことは、すべて資料に書かれてます」と、事務局のような人が長い説明にケジメをつける。

次いで向かったのが、駒繋(こまつなぎ)神社。日光東照宮と同じ、鳥居前に朱塗りの神橋が架かっている。

ここでは、宮司さんが直接説明に現れる。

祭神は大国主命で、昔は「子(ね)の神」と呼ばれていた。

源頼朝が、奥州の藤原征伐に向かう途中に寄ったのがこの神社。その時、芦毛(あしげ)の愛馬を境内の松につないだので、駒繋神社と言われるようになった。

もともと、このあたりは蛇崩川の湿地帯。鎌倉と奥州を結ぶ鎌倉道が、そこを通る。

頼朝の芦毛馬が、沢に足をとられて死んだので「芦毛塚」を建てた。「以後、この沢を渡る時は、馬から下りて引いて渡れ」と命じたので、馬引沢村となる。

それが、上・中・下の3村に分かれて、下馬引沢村が現在住所の下馬。

なるほどねぇ。

「神社建築は、奥から本殿・幣殿・拝殿で構成されているのは、よく知られています」。

「では、神社に男と女があるのはご存知でしたか?」と宮司さんの問いかけ。

本殿の屋根の上に鰹節のようなものが載ってますね。「鰹木(かつおぎ)」の本数が奇数なら男の神。偶数なら女の神。

また、屋根の先端に伸びて交差した木があるでしょ? あれを千木(ちぎ)といいます。千木の先端が垂直にカットされていれば男の神。水平になっていれば女の神。

いや、知らなかったねぇ。日本の伝統工法は、文化とつながっていたんだ。

そういうことって、うなるほどあるんだろうね。