いよいよ、野外フェスの季節です

1日付けで書いたのは、3日にやったこと。2日にやったことを2日付けで書きます。

じつは、同じような日でした。古い人に思いを馳せ、新しい人の音楽現場に出会った。

先日、評論家の吉田秀和さんが亡くなりました。

先人と呼べる宝のような人がいるのに、亡くなって初めて我が不明に気付くことが多い。毎度です。

フランス的な軽やかな閃きと、ドイツ的な重厚な論理を展開した人ですって。

彼の得意とした音楽のことから敷衍して、それは国民性や外国に与える印象に至る。国の運営も人も、95%くらい同質なのに、「そう見える」。

軽さ好きなのでフランス好き、と我が身に合点がいったのが1つ。

そして軽さと重厚さ、両者を尊ぶ吉田秀和さんだったと知って、「この人はまっとうな人だ」と信用できることが1つでした。アレでなくてコレ、というのはアジテーション・広告ですから。

彼のデビュー作「主題と変奏」は、昭和初期に日比谷公会堂で、とある外国人ピアニストのリサイタルでバッハとシューマンを聴いて、著いたそうです。

日比谷図書館のイベント前に、ちょっと公会堂によってみました。

昭和4年・1929年に落成していた。この年、さっそくバレエ、独唱会、子供の合唱、ピアノのコンサート、森永製菓のクリスマスの集いなどが開催されていました。

翌年からは、音楽だけでなく舞踏会、ボクシングの試合、第1回大東京祭といったイベントもやっていた。

現在、「アーカイブ・カフェ」になっているスペースの壁と柱には、歴史を語るポスター、プログラム、ジャケット、新聞記事、写真で埋め尽くされていました。

かつては、チケット売り場兼エントランスホールだった。

もう、ソファに坐って浸りましたよ。

さて、隣の日比谷図書館。6月26日までやっている「名取洋之助」展。

トークイベントには参加できなかったので、監修者の白山真理さんの解説を聞きました。

なんでも、モノゴトは時代の流れの中にあると知ったのは、彼の評伝「わがままいっぱい名取洋之助」を読んだ時でした。

報道写真とデザインの父。

めいっぱいクリエイティブの仕事をしていた時、本人はピカピカの斬新なことをやってるつもりだったのに、デザイン・コピー・イラストレーション・タイポグラフィ・写真の諸先輩がいたことが大ショックでした。

例えて言うなら、iPadは独創の先端商品と思っていたのに、先人アイデアの改造組み合わせでしかなかったと知ったらば・・・。

世に、オリジナルは絶無なんだなぁ。

久しぶりに1910年生まれの「父」に会う。

高輪のお坊ちゃん、当時とすれば、相当の外国かぶれ。ドイツに渡り、21歳でウルシュタイン社の契約写真家になる。

世界的にグラフ雑誌の隆盛期だったので、文字通り、こわいもの無しで世界を飛び回って撮影し、写真は売れた。

ところが、自分で雑誌のまとめ役になってくると、レイアウトや編集や文章や印刷や、そして資金繰りまで面倒をみないといけないから、軋轢が生まれる。

でも、坊ちゃん育ちだから、自分を曲げない。一人去り、二人去る。これの繰り返し。

でも、憎めない。

彼には、盗むに足るアイデアや技術がある人だったから。デザイン界も写真界も、彼の弟子たちが戦後のクリエイティブを牽引したのはまちがいない。

解説した白川真理さんは、日本カメラ博物館の人。研究者でしょうか? まだ若い。

ギャラリーの中には、名取洋之助の弟子かと見まごうばかりの高齢者もいます。彼女の解説に、いてもたってもいられずに追加の解説する豪のおじいさん。

時間内で終わらせなければいけない、彼女の困る表情。

無事、終わって外に出る。

やってましたよ、日比谷野外音楽堂でコンサートのリハーサル。ガンガン聴こえてくる。

チケット販売はしてませんでした。前売りが常識なのね。長蛇の列は、グッズ購入の列。

「アルバム購入の方には、未発表音源CDさしあげます」とくるので、ファンにはたまりませんよ、こりゃ。

メレンゲ、知りませんでした。情報誌を熟読してから楽しんでちょうだい。

僕の場合は、忌野清志郎兄さんまでです。