水ですよ、水。水の専門家がこんなに
文芸春秋社を目指して、いざ出動。
最寄りの「麹町駅」は帰りのコースにとっといて、行きは「赤坂見附駅」から寄り道して向かう。
弁慶橋を渡って、右手に清水谷公園、左手にオーバカナル紀尾井町店。この道は好きです。
Brasserieブラッセリーとは、気楽に飲んで食べる大衆酒場・家庭料理店のこと。本当は、レストランという名称のほうが格が上なのに、後から日本にやって来たブラッセリーのほうがダンチでありがたみがある。
この、ねじれがおもしろいよね。
ブラッセリーでサマになる男といえば、ゲンズブール兄さん。バーキンが、隣に坐っているようじゃありませんか。
以前は、BBが隣にいた。
フランス・ギャルとワインを飲んでいた時期もありました。
この、モテ男ったら。うらやましい。
道を渡って、清水谷公園に入る。忘れもしません、小学校の最初の遠足がここ。
紀尾井町といいますね?
紀伊、尾張、井伊の殿様が住んでいたから紀尾井町。それぞれの敷地がどれだけ広かったかというと、
・和歌山の紀伊殿は、赤坂プリンスホテル・文芸春秋社・清水谷公園の区画。
・名古屋の尾張殿は、上智大学から四谷・聖イグナチオ教会までの区画。
・彦根の井伊殿は、ホテルニューオータニの全敷地。
時代は下って明治11年5月14日朝。内務卿大久保利通、清水谷前の道で暗殺される。
彼は、西郷隆盛の人望のワリを食ってて、人気はありません。でも、実務家としては超一流。政治家でなく、官僚なら暗殺されなかったのに。
明治21年、「贈右大臣大久保公哀悼碑」が建つ。
50年前の小学生は、そんなこと知らずにおにぎり食べてました。
時は移れど、無頓着は一緒。現在の女子高生はダンスのレッスンに夢中でした。
お箸が転んでも笑うお年頃。見てるだけで、うれしくなる。
案内板「地盤沈下と水位をしらべてます」を読む。
かつて、清水が湧き出ていたこのあたりも、地下水を汲み上げすぎて地盤沈下し始めた。そこで、水位計と沈下計を使って、常時観測しているんです。
立方体の石を見つける。こちらも案内板を読む。
江戸開府して人口が増えると、水不足になった。そこに登場したのが、ご存知玉川兄弟の清右衛門と庄右衛門。
羽村で堰を設け、多摩川の水を四谷まで43kmの水道を造った。四谷からは暗渠にして、麹町・赤坂・虎ノ門・京橋に給水した。
鉛管が無いのに、どうやって?
木と石の樋をつないで通した。じゃあ、方向を変えるには?
巨大な石をくり抜いて枡を造り、これを中継して右や左に流出方向を調整した。その石枡だったのです。
さて、皆さん。厚生会館はご存知でした? 新宿の厚生年金会館じゃありませんよ。
この、まぎらわしい会館は平河町にあるんです。プリンス通りをはさんで文芸春秋社の前。
大きい地図では、井伊殿の敷地を右か左に大きく迂回しなければなりません。ところが、清水谷の脇にある階段を適当に登ったらプリンス通りに出ました。
講演会「いきものから知る都市河川の変化」に出席。川に目覚めて半年、受付で「河川文化を語る会」は、毎月講演会をやっていたことを知る。
回を重ねて、168回目。
すべての講演は、1冊4話にまとめられズラリ出版されてました。河川だけでなく、水のすべてがテーマ。あわてました、どれを買おうか。
今回の講師は、藻類研究所の福嶋悟さん。藻類ですから、普段は顕微鏡を覗くようなことをやってます。
それじゃぁ、あまりにマニアックなので、川の魚類の話。
取り上げたのは、横浜の川です。北から鶴見川、帷子(かたびら)川、大岡川、境川。
都市部自治体は、自然を取り戻そうと投資しているんです。生物学者は、流域を調査して時代の推移を把握する。
水量、水質。それも本流も支流も。下水処理、護岸、水草。そして生きもの。きれい、汚いで棲める生物の分布。
ゆくゆくカヌー遊びをやりたい身からすると、実に複眼の視線を教えられました。
もう一人、川の師匠に出会いました。
新津さん。うろ覚えのことを話すと、時・場所・団体名を明瞭に教えてくれる。いるんですねぇ、精通している人は。
薄暗いロビーで話し込むこと30分、せせらぎマイスターへの道は明るいぞ。