どういう人が山へ行くのか理解のストック
11日午前3時、サッカー・ユーロ2012のスペインvsイタリア戦終了。
1−1のドロー。
スペインは、実質レアルとバルサの混成チームのようなもの。メッシがいれば勝てたと誰もが想像しながら見てたでしょうか。
お互い、シュートを打つも「惜しい」場面の連続。空を仰ぐシーンの連続。力が拮抗しているから、連携が計算どおりにいかない。GKも、うまいよねぇ。
12日午前には、フランスvsイングランド。連日、午前様。困ったなぁ。
さて、僕の水泳教室も残り1ヶ月。
とうとうバタフライ25mできました。
1本目、軽く。2本目、ちょっと苦しい。3本目、ぜいぜいする。4本目、水をおもいっきし飲む。
手の動きと、イルカ泳ぎが連動しないから。どっちか気にしてると、どっちかが止まってる。
女子大水泳部のフォームを、全員プールサイドに上がって見学。先生の言うように、上下ではなく、前に進もうとする意欲のある泳ぎ方。
6月28日で教室は終わりです。でも、泳げるようになった、ではなく練習方法を教わったから、大満足。
鼻汁ズルズルさせながら歩いていると、金属音が聴こえて来る。
団地の庭で、草刈りやってました。
清里で、1回やったことあります。この草刈り機、けっこうむずかしいんです。刃の位置を、地上からわずかに浮かすところが。
近寄る。
「小石が飛ぶので、あぶないですよ」。
これは、ガソリン25:オイル1混合液のエンジン。刃はナイロン製の棒状で、断面は四角。訊くと、三角のもあるし、星形のもある。
これが高速回転して、草を刈り取る。鉄製の円盤状の刃ではない。
「それにしても、暑くないんですか?」。
「暑いですよ」。
我ながら、愚問を発する。上から下まで、完全防備。忍者に似てるでしょ? 防虫の意味があるのかな、それとも、飛ぶ小石対策かな?
今年の清里行きでは、自分がどんなことを感じるか楽しみなんです。どれだけ、「変身」しているか。
「装丁山昧」小泉弘著。「ざんまい=三昧」を「山昧」に掛ける。とりあえず、山と渓谷社の本を手にするくらいは「変身」しました。画期的です。
音は、ジャンゴ・ラインハルト。
自然派の知り合いは、2ヶ月前に知り合った「森の遊歩隊」リーダーの益田さんだけ。
永年、山歩きをやっていると、「このように堆積するのか」と感じさせるものがある彼です。何が積もっているのか、不明です。けれど、「層」を感じる。
僕には、無いもの。
小泉さんは、装丁家です。そして、登山愛好家。すでに、500冊の山の本を装丁してます。
好きなことを仕事にするのは、幸福なのか不幸なのか。僕の見て来た限りでは、仕事師は幸福です、労働者は不幸です。
それにしても、登山家たちは本をよく読むらしい。書き、収集するらしい。
「あらゆるスポーツのなかで、優れて思索する行為が登山なのではないだろうか」と著く小泉さん。
筋肉をつかう一方で、頭は風・雲・岩・ルートを読む。同時に先人を想い、山岳書を思い浮かべ、何かを反芻している。
だから、汗の匂いがするような本ではなく、エレガントでハンサムな姿をした本を作りたい。
人としてハンサムになろうとしないと、こういう言葉は出て来ない。思索するエレガントさ。
登攀するルートは、いろいろあるのでしょう。いろいろいる登山家の一典型に出会えた気分。
清里で飼われていた牛を見て、「あ、山を背負ってる」と感動するくらいですから、僕はまだ登山口に立っただけです。