不倒翁フィデルの国の映画史を知る

立教大学で、ブエナビスタが聴けるとは思いもしませんでした。

うれしいねぇ。

映画を見た時は、もう、立ち上がれませんでした。老ミュージシャンたちの命の復活ドキュメンタリー。

「この瞳、このシワ、この手つきができる男になりたい」と涙ぐんだ思い出がよみがえる。

キューバですよ、お客さん。キューバ

1962年、米ケネディ大統領が「キューバ封鎖」を宣言した時は、ボンクラ中学3年生も驚きました。

マクナマラ国防長官が、ソ連から持ち込まれたミサイルのサイト建設写真を説明していた。マ長官のオールバック、なんてかっこいいの。

ケネディ大統領の憔悴した顔、これほど懊悩した表情を見たことがありませんでした。

それが、キューバ体験の始まりで、その後は「ブエナビスタ」まで空白。その後も、立教大学に行くまで再空白。

立教大学にはラテンアメリカ研究所があって、そこが映画「アキラの恋人」を上映するというので、出かけました。

コーディネイトしたのは、寺島佐知子さん。

話は、1968年にさかのぼる。

日本の黒木和雄監督が、キューバをロケして「キューバの恋人」を撮った。日本では公開されたが、なぜかキューバでは上映されなかった。

最近、その事実に興味を持ったキューバ女性、マリアン・ガルシアが「アキラの恋人」というドキュメンタリー映画を撮ったのです。

60年代後半は、米ソ超大国の冷戦時代から、平和共存の時代に移ってました。

ベトナム戦争は代理戦争でした。「キューバ封鎖」も両国がオトナの合意をしたおかげで、蚊帳の外になったキューバ

じゃぁ、世界で同時多発革命を目指そうと、カストロの同志ゲバラボリビアでゲリラ戦を展開するも1967年に殺害された。

民兵を主演女優として抜擢し、アキラ役の津川雅彦と革命時の恋を演じた。

キューバで上映されなかった理由は、複雑ではありません。

当時、キューバは革命最前線。日本は革命を本でしか知らない国で、話が荒唐無稽だったから。

それはそれとして、なぜ、黒木和雄監督がキューバで映画を撮ったかが疑問でした。

1960年代からの、キューバの映画史が背景にあったのです。

前年、アメリカの植民地状態だったキューバ・バチスタ政権が倒れて、革命成る。ICAICキューバ芸術・映画産業庁が設立される。

映画を制作もしたが、外国映画を輸入もした。

南米や旧共産圏の映画もあったが、日本の映画もあったんです。黒澤明監督作品や座頭市シリーズは、大好評だったらしい。

1964年には小林正樹監督の「切腹」、66年には黒木和雄監督「飛べない沈黙」も公開されて人気を呼ぶ。

で、68年にICAICが協力してできた映画が「キューバの恋人」だったのです。

ハバナ大学で映画を教えているピエドラ教授は、幻の映画の話をすると、教え子マリアン・ガルシアはそれを題材にドキュメンタリーを撮ったのです。「アキラの恋人」の監督。

現在までの経緯、ご理解いただけましたか?  

巡りめぐって、日本とキューバがつながる。想像ですが、植民地時代のキューバって、こんな感じだったのかなぁ。カルガモも、成長するのだ。